雑誌レビュー掲載の構造。

以下はツイッターにも書いたのでフォローしていただいてる方はすでにお読みかと思いますが、私の妬みをまぁ聞いてください。

(1)今日またイヤな思いをした。あらかじめ白盤(CDR)とPR資料を送っといた○ュージック・○ガジン誌に電話をして「静寂の二作品、レビューに載りますかね?」と問い合わせたところ「白盤だけじゃレビューに載らない」と言われた。会話は大分端折ってますが。

(2)元々レビューのコーナーには載せる気はなくて連載を持っているライターに回したと言う。そのライターは白盤だけ送って来る作品に関してはほとんどの場合レビューを書かないと言う。そのライターの言い分は、ジャケットも込みでレビューを書きたいからだと言う。

(3)その言い分は分らないではない。しかし最終的に何を基準にレビューを書いているかというと結局レーベル側からの恩恵がどれだけあるかということじゃないの?それって。オレがそのライターをソープとかに連れてったら大々的に記事にするんじゃねーか? もしかして。

(4)まあそれは極論だしオレの想像の域を出ないわけだが、そのライターが言うには「売上が厳しくても本チャンを送ってくれるような熱意のあるレーベルを評価する」とのことらしい。あほかと思った。音楽自体よりもレーベルの熱意でレビューが掲載されるらしい。

(5)もちろんこちらとしても売らなきゃならないわけだから二枚や三枚のCDを贈呈することによってレビューが掲載されて、然るべき人々に届けばいいとは思う。しかしなんだか釈然としない。

(6)結局、より資本力、営業力のあるレーベルの作品の方が掲載されるという図式にならざるを得ないわけで、それはいかがなものかと思う(もう思い切りここから妬みに入って行きますよ)。

(7)音楽評論家なんか端っから信用していないけど、雑誌の編集とグルになってそのような構造になっているという実感を伴ってゲロ吐きそうになったよ。しかし結局本チャンのCDを編集部に送付することになったのだが。ヘソ曲げるべきだった、オレが。

(8)なんか敗北感満点。ものすごく落ち込んだ。何に落ち込んだかというと自分の不甲斐なさに。「そんなことならお前のところにはサンプル盤はおろか今後も白盤すら送らねーぞ」と言えなかった自分に。そして私は今そのCD二枚の梱包をしている。


追記:CDの売上がめちゃくちゃ落ち込んでいる昨今、ライターさんも大変だろうとは思う。雑誌編集者も然り。そもそも雑誌もCDと同様売上が落ち込んでいると聞く。雑誌で一番大事なのは編集の筋が通ったところにあると私は思っていて、特に音楽雑誌は何のためにそれが存在するのかという部分をもっとラジカルに突き詰めて考えていただきたいと望んでいる。上記のような状況が存在する限り、音楽ファンはナメられていると思っていただきたい。そもそももう○ュージック・○ガジンには何の期待もしていない。ここ数年だけど。昔は良かった的な感傷に浸る気は毛頭ないけれど、昔はもっと気骨があった気がしているのは私だけではないだろう。ああ、嫉み。妬み。