二年半ぶりの更新です。

二年半ぶりのブログ更新です。最新のが二年半前のblacksheepのレコ発予告です。思い返せば吉田隆一・スガダイロー・後藤篤のblacksheep / 2 の発売日が2011年3月13日で、流通が止まって焦ってた日でした。また、その二日前、2011年3月11日は灰野敬二ナスノミツル・一楽儀光の静寂の東京初のワンマンライブの日でした。もちろん中止。詳細を書くと長文になるので大割愛します。
あの当時から2年半もの日が経過しました。私の53年の人生を通して2年半前のこの時期ほど混乱していた時期はありません。これはハッキリ断言できる。大震災〜原発事故〜人々の混乱/分断。そしてその当時ほど毎日涙を流していた日々も人生初でした。自分自身が何より混乱していた。世の混乱に流されていたのかも知れませんが流れた涙や乾いた笑いはまるで吉本新喜劇
あれから二年半。私の感情もずいぶん落ち着いて来たみたいです。事故/被災現場はまだまだ落ち着いてないけれど、当初から比べると私の感情に限ってのみ落ち着いた。というか当初か私の感情が通常の自分の感情ではなかった気がします。考えてみるとずいぶん色々なことがありすぎて短かった二年半です。それは私が歳を取ったせいもあるかも知れませんが、色々なことがありすぎました。
そんな中で、いやそんな中だからこそ、色々な人々と出会いました。この色々な人々との出会いこそが、自分で自分を鼓舞することが出来たと言えます。さらに今までなあなあで付き合っていた人々との更なる濃密な時間を過ごせたことは、今考えると驚きに近いような気もします。これは「全て震災と原発事故のおかげです。」と書くとまた外野から批判的な声が聞こえてくるだろうし、多くの人が苦々しい表情を浮かべるのは十分に分かっています。でもそれがオレの今の素直な感情なんです。
多分オレは震災に遭った人たちとか原発事故や放射能で苦しんでいる現場の人々とは感情を共有することは永遠に出来ないと思っています。最近ようやくそのことに気づきました。すいません。鈍くて。それはつまるところどんな人間でも全面的に共感すること、分かりあえることなど出来ないのだ、という根本的な真理を認識することでもあります。それでも私は(人間は)共感を求めるのです。ほんの一筋の光が通じ合うことで分かりあえるよう(な気)にもなります。私はほんのこの一筋の光に希望を求めるものであります。そしてそれは理論的なことじゃなくて、勘というか感情というか、なにかそういった自分自身の今まで生きてきた肉体的な感覚がそう思わせるんです。
二年半、ブログを書かなかったのは、混乱していたため、コトバを選ぶのにも非常に慎重になっていたのかも知れません。ただしツイッターはコトバを選ぶという作業にあまり時間をかけないメリット(and/orデメリット)もあるため私の当時のtwilogを見ると自分の混乱ぶりが伺えてなかなか面白い。
大分感情的に落ち着いて来たので、時々更新しようと思います。また、私はこの間、大友良英遠藤ミチロウ和合亮一の三人によって立ち上がったプロジェクトFUKUSHIMA ! というのにも参画し、これがまた色々と楽しいのでこれに関しても色々と書こうと思ってます。まだまだ書きたいことが山ほどあるんですが、今回はこの辺で。