旨い呑み屋。

先週、一度仲間たちと呑みに行った。サラリーマン多数の、比較的安いお店。さてわれわれが静かに呑んでおりますと、15人くらいの軍団が入って来た。スーツは着ておらず、なにか「業界的」な感じの、多分オレと同じ年齢くらいのオッサン3〜4人と残りは男女半々くらいで二十代〜三十代といったところ。そのルックスをみて、いや〜な予感がした。
果たしてその予感は大当たりであった。異常にうるさい。たいして酔ってもいないのにその声の大きいことといったら、この数年中でもベスト5には入るであろう声の大きさ。しかも笑う時に、パンパンパンパンパンと思い切り手を叩く。それを見ていると、もう笑いのための笑いというか、盛り上がるための盛り上がりというか、盛り上がらないことが罪悪であるかの如きノリなのである。しかもある女の絶叫的な笑いは、何ヘルツか知らんが高周波の倍音を含みオレの耳をちくちくと刺激する。
われわれはガックリと肩を落とした。近くの席であれば注意のひとつも出来るのだが、微妙に離れた席で、それがわれわれの任務であるのか、悩ましい位置関係であった。
結局注意はせずに、まぁそこそこの時間であったし、われわれはその店を出た。


個人経営の良い呑み屋はそういう客に、店員もしくは他の客が注意をするものだ。客が店を育てる and / or 店が客を育てる。であるからしてパンパンパンパンの連中は自然チェーン店に集まるようになる。そういうことがわかって以来オレは滅多にチェーン店の呑み屋には行くことがなくなった。


呑みは、大人でありたい。もちろん興が乗って来たら他の客やお店に迷惑をかけない程度に盛り上がるのは全くOK。しかし無理矢理盛り上がろうとするのは避けたい。盛り上がるときは盛り上がるものだ。盛り上がらなくてもよしとする大人のたしなみをしっかりと心に刻んでおきたい。ゲロを吐くまで呑むのも、もう問題外。吐くなら一人で吐く。便所へ行って吐く。他人に「大丈夫か?」などと訊かれるのは恥ずかしいことと思われたい。大人なら。
酒のつまみは、できれば酒と合うものをオーダーされたい。しかし5人以上となると酒の種類も違えば好みも違うためなかなか自分好みの呑みは出来ないが、つまみを独り占めするようなセコい真似だけは慎みたい。そういう場合は、話>つまみ、という図式となり、たとえ日本酒とウインナーなどという組み合わせであろうと「ん〜んまい」という大人の寛大さが重要である。
私の呑みは、「仲間と話すこと」に重きを置いているのであって、決して酒に重きを置いているものではない。であるからして酒は単なる話の肴。よく酒の肴は面白い話であるというが、私の場合は逆なのである。でも酒は好きなので、ちょっとそちらにもこだわりたいだけなのだ。
アルコールには失敗談がつきものであるのだが、それは若いうちにのみ許されることであって、スーツを着たオッサンが道端で吐いているところとかベロベロに酔っ払って同僚に抱えられているところなどを見る度に、本当に説教のひとつもしたくなってしまうのである。終電などに乗り合わせると最悪だ。昼間はちゃんと働いてそうなおっさんのその変貌を見ると、酒を呑むという点においてこのオッサンと一緒と(特に下戸の人から)認識されるのがすごくイヤなのだ。もちろんパンパンパンパン系とも。