旭川ラーメン「蜂屋」神楽坂店。

今日昼に更新したばかりなのにまた書きたくなったので、今日の昼書いた分を昨日に回し、本日分です。全く音楽とは関係ないことなんですが、神楽坂にラーメンの「蜂屋」がオープンしました。
蜂屋とは、代表的な旭川ラーメンの老舗です。オレはガキの頃から食っている。ガキの頃当り前だと思っていた蜂屋の味が、一時のラーメンブームで一部で取り上げられるようになって、認識を新たにしたのが20年前くらいか。東京の可もなく不可もなくといったラーメンとは格段の差を見せつける蜂屋のラーメン。
東京に出てきた頃衝撃だったのは熊本ラーメン「桂花」、とそのちょっと後に衝撃を受けることになる博多の「なんでんかんでん」。「なんでんかんでん」は大友良英とかイム・スウンとかと毎月食いに行っていた。かならず替え玉は2玉以上は食っていた。あと、京都の「天下一品」。
以上の三つは、ラーメンの概念が違う、とすら思った。それほど各々パンチがありラーメンのカテゴリーを逸脱するほどの個性を漲らせていた。
さて、蜂屋であるが、まぁ見てくれは普通のラーメンである。しかし蜂屋の強烈な個性はそのスープにある。焦がしラードといわれるが、実はもっと複雑に出汁を取っているのではないかと私はにらんでいる。旭川は極寒の地で、寒い中でラーメンを食う時にスープが冷めないようにラードで膜を張るというのが一般的な旭川ラーメンの特徴だが、特に蜂屋のはラードが実に旨い。このラードが蜂屋のラーメンの全てであると言っても過言ではない。
先月まで横濱のラーメン博物館に入っていたが、今月からは神楽坂で新規オープンとのことだ。で、さっそく行ってみた。実はちょっと不安だったのだ。東京に媚びてあの独特な強烈な匂いと味はソフィスティケイトされてはいないだろうか。東京に媚びてラードを薄めにしたりはしていないだろうか...。
しかしその不安は杞憂であった。旭川のお店と何ら変わりのない匂いと味が、神楽坂にて再現されていた。味を言葉で表現するのは、音楽を言葉で表現するのと同じくらい、いやそれ以上に困難を極めるが、蜂屋のようなラーメンを味わった後では余計にそれを身にしみて感じる。「旨い。めちゃくちゃ旨い。」としか言いようがない。食い終えた後(もちろんスープは一滴も残さず)の幸福感と安堵感はオレが極寒の地・旭川に生まれ育ったプライドを嫌が応にも盛り上げてくれる。
食後数時間にわたって、焦がしラードのゲップが出る。これがまた嬉しい。オレは蜂屋のラーメンを食ったんだ、という勝利感とか終業感で数時間嬉しさを引っぱることができる。ゲップを出してこれだけの幸福を味わえるのは蜂屋のラーメンくらいだろう。
音楽でも食い物でもそうだが、個人的な好みの違いというものをあたかもないもののようにして名盤だのグルメだのと言うのは趣味ではない。しかし旭川出身のオレが神楽坂の蜂屋のラーメンを喰え。と言うのだから一度喰ってみていただきたいと思うのである。このラーメンでオレは育ってきたのだということを知らしめたいのである。それはある種の自慢なのである。仮に喰ってみて「不味かった」と思ってもオレの前でその一言を言わないでほしいと思うのである。ちなみにヨメは福島出身であるが、蜂屋のラーメンにぞっこんである。ヨメは「蜂屋のラーメンとオレ、どっちが大事なんだ?」と訊くと「蜂屋のラーメン」と、多分答えるのである。オレもヨメに「私と蜂屋のラーメン、どっちが大事なのよ。」などと問われると「蜂屋のラーメン」と答えるであろう。
ちなみに自転車での帰り道、神楽坂から千駄木までの間、ヨメとの会話は蜂屋のラーメンのことばかりであった。