永ちゃん。

夕刻、ヨメにつきあって後楽園のラクーアへ行った。いつもならほとんどが小さな子供を連れた若い夫婦とか女子高生3人組とかでにぎわっているラクーアだが、何か今日は様子が違う。なんというかヤンキーの方々というか、リーゼントのロケンローラーの方々というか、そういう方々が多い。しかも、周囲に圧倒感を与えているというよりはむしろ皆にこやかというかほのぼのとしているというか楽しげな感じ。
ラクーアでの用事を終えてドーム側に出てみると、わかった。ドームで矢沢永吉のコンサートがまさにこれから開催されるのであった。もうすごい人数。一目で分かる永ちゃんファン。スカジャン、白いスーツ、首から赤いタオル、E.Yazawaロゴ入りのTシャツ、オールバックのリーゼントやスキンヘッズ、スタイルは各々違えど、なにか世間に主張してくるような独特の格好だ。しかも圧倒的にオッサンが多いのには割とびっくりした。というかよく考えるとびっくりする理由もないのだけれど。
キャロルのレコード・デビューが'72年年末だから、その時に徹底的に感化された年齢の少年が12歳から17歳くらいだと仮定して、後に永ちゃんが爆発的なヒットを飛ばす「時間よ止まれ」が'78年、その頃の少年をやはり12歳から17歳と仮定すると、そのオッサンたちの年齢幅は43歳〜54歳ということになる。ズバリ、私の年齢帯域なのである。


ここぞ、というコンサートに白いスーツでビシッとキメて、永ちゃんの音楽で赤いタオルを振り上げる。ほぼ全員がそうなのである。以前のオレなら忌々しかったこのスタイルが、今となってはなんとなく許せる、というか微笑ましい感じがする、というと何となく上から目線ぽくてイヤな感じがするが、とてもピュアな感じがするのだ。彼らのスタイルを見てもそう思うし彼らの笑顔を見てもそう思う。これは永ちゃんだから許されるというような気もする。思想性とか政治性などという厄介なモノが介入しないからこそのピュアリズムがそこに存在しているのだ。40年近く同じスタイルで歌を歌い続けてきた男だから獲得出来たピュアなファンたち。ある意味感動的ですらある。真のエンターテイナーとはこういうことを言うのか。


パンクや狭義のロックが、世間との差異性と権力に対する反抗を主張するためにファッションを決定するのだとしたら、それがスタイルになった時点でその主張は骨抜きにされるだろう。そうして様々なものは消費され尽くされ、骨抜きにされてきた。永ちゃんファンのそのスタイルは世間などとは全く関係なく40年近く続いている。これは、もはやロックなどというものではない。そういった(オレが書くみたいな)屁理屈を超越したものにすら思えてくる。決してセクショナリズムなどという思想的なものでもない。むしろ宗教的で崇高なものだ。(このくだり、誤解しないでくださいね。永ちゃんファンを揶揄しているんじゃないんですよ。オレにないものへの憧れであり尊敬なんです。いや、マジで。)


神保町〜後楽園〜春日辺りまで永ちゃんファンが闊歩していた開演寸前の異様で、かつなんとなく心穏やかになる夕刻。永ちゃんのドーム・ライブを一目見たい気すらしてきた。