景色について。

風がちょっと冷たかったけど天気もいいので配偶者とともに自転車で目的もなく出かけた。中央通を南下し、神田・東京を経由し、ちょっと東へ折れて月島・佃界隈へ。
この辺りの風景は実にハイパー・ストレンジ・愕然・慄然・驚愕...あらゆるびっくりワードが頭の中を駆け巡るほど奇妙な風景だ。明治〜大正〜昭和と平成の現代が同居しているとも言える珍妙な景色である。自分が立っているところはもんじゃ屋が軒を連ねる猥雑で楽しげな商店街であり、ひと一人が通るのにやっとな狭さの路地が商店街からいくつも出ている。路地には猫、子供、各々の家の匂い、植木...。だがふと上を見ると巨大な高層マンションが周りを囲んでいる。そのギャップに、ちょっと慄然としてしまうのだ。空を狭くしている30階以上のマンション群は、醜悪な姿を壮観に晒す。建築中のビルもたくさんある。
そんなにビルやマンションが必要とされているのだろうか。空に進出するほどに東京は狭いのだろうか。ものすごく疑問に思う。月島や豊洲が埋め立てられたのは明治時代と聞いている。工業に力を入れた時代の名残で工場跡や倉庫などもまだたくさんあるけど、周りはせいぜい木造・モルタル二階建ての一軒家ばかり。人間ひとりが出来ることの各々が集約されて地域が生まれ、商店街が生まれ、何らかのコミュニティが生まれるとしたら、高層マンションは人間一人に出来ることを大幅に上回っているやり過ぎ感を象徴しているような気がする。言っていることがよくわからないですね。なんとなくそういう気がしたのです。
考えてみるとこの周辺ばかりじゃなく、東京はこういった不細工な景色のオンパレードだ。うちの近くの下町もだんだんそうなりつつある。住民がいくら団結して反対しようが、マンションは建ってしまう。経済は景色や地域コミュニティよりも重要だということらしい。置き去りにされたものがある。その置き去りにされたものに、ちょっとシンパシーを感じてしまう昨今の私。先日49歳を迎えた。生きてあと10年くらいか。
なんやかや言って自転車で30kmくらい走った。帰り道、神田に寄って呑んだビールがなんだかやたらうまかった。