BGM。あるいは環境音楽。

2月6日のお二人のコメントを受けて(ありがとうございます!)、思うところを述べてみたいと思います。
そもそも誰が駅のホームに音楽が必要だと考えたのかがよくわからないけど、それを思いついた人は明らかに音楽が好きな人ではないと思う。そこそこ音楽が好きな人であれば、そんな突拍子もないことは思い浮かばないだろうと思う。毎日毎日同じ音楽の同じフレーズを聴かなければいけない苦痛を、どう思うのか。
そこからちょっと見方を広げて改めて考えてみると、世の中にはなんと腐るほど音楽で充満していることか。特に気が狂いそうになるのは店舗のテーマソングがあるヨドバシとかソフマップとかセブンイレブンとかそういったチェーン店舗。延々とテーマソングが繰り返され購買意欲をそそろうとしているのだろうけど、私にとっては全く逆効果だ。意識し始めると気が狂いそうになるのだ。店員さんは大丈夫だろうかと心配になる。
私の同時代的な、そのBGM的な考え方の一つとして強烈だったのはブライアン・イーノアンビエント・シリーズだったけど、まぁそれを複製品として製造してしまったからには空港以外のところとか悲しみの場面でかけることを可能にしてしまった矛盾はさておき、イーノの新たな提案は改めて音楽のあり方(環境音楽)を考えさせられるものだった。ところがそういった斬新な試みもどこ吹く風、おしゃれな呑み屋にはジャズ、牛丼屋にはJ-POP、ケータイの販売店にはAVEX系、といった具合にとにかく消費を煽る目的のみの音楽が席巻しているのが現状だ。このステレオタイプはなんとかならないものか。あ、あとツタヤとかに行くとJ-hiphopと歌謡曲のあいのこみたいのがかかってて、いつも恥ずかしくなってしまう。なんでBGMで客が恥ずかしがらにゃならんのか。オレだけか?
もう、ホンットにBGMはいらない。どこにいても。イーノの考え方とはちょっと違うかもしれないけど。BGMのない居酒屋にいると、なんだかホッとする。
レコード屋に長く勤めていたので、店舗勤務中は当然消費をあおる音楽をかけるわけです。といっても当時のディスクユニオンはまだかなりユルくて各々の店員がこれを薦めたいというものばかりかけてたわけです。で、お客さんに「今かかってるのなんですか?」と問われて、待ってましたとばかりに「こちらです。」とその商品を差し出して販売して仕事の充実感を得るという、実にのどかで本来のレコード屋のスタイルを保っていた。ところが大店舗法の規制緩和などで店舗がでかくなると当然二つのスピーカだけじゃ間に合わないので、各ジャンルのブースごとに音をかける。当然店内は幾種もの音楽が混ざり合ってぐちゃぐちゃの音の塊が店内に鳴り響く。まさにノイズ状態。これじゃ購買意欲は耳ではなくなり目の方ばっかりに集中しちゃう。まぁ音楽家の情報だけをパソコンで検索して音を聴かずともわかった気になれる今の時代にはそれなりに適応しているのかも知れませんが。それにしてもあのノイズ攻撃は購買意欲をかえって削がれる。レコード屋なんだからもっと考えてもいいと思うのだが。牛丼やよりたちが悪いよ。ユニオンばかりじゃなく、タワーも。HMVも。
ことほどかように当初の目的であった購買意欲を煽る、とか、心地よくさせる、とかが、当初の目的を忘れてルーティンになったり人によって不快な思いをさせるのであれば即刻BGMに変化をつければ良いのではないかと思う。もちろん「音楽なし」の選択もありだ。山手線であれば一ヶ月ごとに音楽を巡回させるとか。そうしたらある程度は音楽も新鮮に聴こえるのではないか。蒲田だから常に蒲田行進曲である必要もないでしょう。笑っちゃうよ。
一部のノータリンのためにわれわれの耳は実に鈍感に鍛えられているのだ。


おふたりのコメントを受けて全く思いつくままに書いてみましたので全くまとまりのない文章になってしまいました。一部矛盾もありますが、パオロ・マッツァリーノさんの『反社会学講座』に出てくる「ふれあい」のメンタリティと近いものがあるんじゃないですかね? ホームのBGMには。