アテロームの手術。

午後2時30分より都内某病院でアテロームの手術(切除)。前回と比べるとけっこう大仰な手術室に連れて行かれ、ど真ん中にある手術台に横向きに寝かされる。上にはでかい円形の、白いライトが20個くらいついてるメタリックな、例のあの、ライト(専門用語があるんだろうけど知りません)。先生はかなりご老人の方で、何言ってるかよくわからない滑舌の悪い先生で、しかし、たぶん百戦錬磨の手術のテクニシャンであろうと、完全にその先生を信頼するしかない。でもどちらかというと私は、病院の先生はじいさんの方が好ましい、というか信頼できるのである。なんかハツラツとした先生はどうも苦手である。「どうも腰が痛いんですが」という患者の問いに「風邪だ。」とキッパリと答えるじいさんの医者が好きだ。
患部(脇下7cm、背中寄りに7cm)にのみ丸い穴(直径10cmくらい)のあいた薄い青の布をかけられ、視界は遮られる。小指になにか線のついた洗濯バサミみたいなもんをつけられる。「何ですかこれは」との問いに助手の方は「あ、まぁ血液中の(忘れた)を測定するためのものです」とお答えになられた。けっこう大げさなんだな、たいしたこっちゃないのにと思うが、ここはマグロになりきらなければならないのだな、と大人の私は反抗はしない。
「最初だけちょっとチクっとするから」と辛うじて聴き取れた先生の声に布の中から「はい」と答える。「押されたり引っ張られたりする感触があるけど、ごにょごにょ」と滑舌が悪くて最後の方は聴き取れなかったが、また「はい」と答えた。そうして麻酔を打たれ、なんだか知らないうちに、幹部が押されたり引っ張られたりしている。あ、もうメス入れたんだ、とその間多分3〜4分。パツン、パツン、パツン、と響きのいい音が聞こえ始める。「いま、切ってるから、ごにょごにょ」と先生がおっしゃったが、それを助手の人に言っているのか私に対して言っているのかがよくわからなかったので、とりあえず答えないでおいた。パツンパツン音は注意深く聴き取ってみるに、明らかに皮膚を切っている音だ。しかも1mmか2mmくらいずつ切っている感じ。麻酔が効いているから全く痛くはないのだが、そういう風に想像するとけっこう緊張する。
「もう終わるから」と比較的ハッキリと先生がおっしゃられたので、また「はい」などと返答したが、ここでは先生に「え、もう終わりなんですか。早いですねー」とご老人をいたわるような言葉の一つもかけて差し上げた方が良かったのだろうか。いやそんなことはあるまい。状況的に言ってそれは不要であろう。最後のパツンの後に先生が「糸がどうのこうの」と言ったので、ああもう縫い作業に入るのか、とわかる。それにしても先生の滑舌は悪く、助手の方も「え?」と二度聴きするほどだ。縫い作業でどんな糸が使用されているのかは知らないけど、引っ張られる感触は確実にあるわけで、引っ張られるときにゴリゴリ感、というか、ガリガリ感みたいな音を感じる。音は出てないけど、音を感じる。糸を切る音がまた心地よい。これはさっきの皮膚を切る音よりもちょっと乾いた感じの音でパシュン、みたいな感じ。けっこうな勢いで皮膚を引っ張られたり押されたりしてパシュンパシュン音が何度も響き、先生の「はい終わり」という声にてかぶせられていた布がようやく取り払われた。でっかい脱脂綿とその上から絆創膏を貼られて、全て終了。10分か15分くらい。
先生から切除されたアテロームの塊を見せてもらった。血まみれのそれは、きれいな楕円形をしていた。前回の時は中で皮膚が破れて化膿した状態の中で行った切開だったので、ぐちゃぐちゃなのを見せてもらったが、今回のはとてもきれいな形だ。形の良い小ぶりの砂肝みたいな感じ。切除した部分はパックリと口が開いているが、身体の内部にしては比較的厚い皮膜である。そしてそのパックリと口が開いている中にいわゆる垢や脂肪状のものが収納されているわけだが、空いている部分からそれは見えるわけで、白濁色というかクリーム色というかそういう色だ。「これが中に入ってた垢みたいなもんの塊なんですね」と先生に言うと、先生は無言で皿(専門用語わからず)の上にあるそれの、白くのぞいている部分にメスを入れた。なんと皮膜の中にもう一枚の皮膜ができていたわけだ。メスで切られた薄い皮膜の中の白濁色の変な塊(おからみたいな感じ)を先生はメスの先端でぐにょぐにょと掻き回した。先生の顔は見なかったが、うひひひと笑っていたとしたらまるで筒井康隆の小説のようである。
それにしても人間の身体の生成力/再生力はすごいもんだなあと改めて感心した。皮膜の下にまた皮膜。そしてきれいな楕円形。オレのは不要なものが生成されたわけだが、この調子で様々な部署が日々身体の中で働いているのだなあと思うと、全く自分の身体をいたわってあげたくなる。そしてその生成力/再生力に感謝しなければと思う。
先月渡された「手術の手引き」みたいなパンフレットに「手術当日はアルコールを摂取しないでください」みたいなことが書かれていたのだが、こう暑いとやはりビールが呑みたくなる。助手(中年女性)の方に「あのー、今日ビール呑んじゃだめなんですか?」と問い合わせると「あ、いいですよ、べつに。ね、先生」と先生を振り返ると先生は大きく首をタテに振った。先月も若い看護婦さんが先生の前で私に「手術の心得」みたいなマニュアルを口頭で説明してたときに「食事は手術の2時間前までに済ませといてください」の部分で先生が「いんだよ、そんなことは。直前に食べてきてもいいから。」とまるでマニュアルを無視するカッコいい先生なのだ。看護婦さんも先生の性格をわかっているようで「でもね先生、一応私の役割ってのもあるんだから」と笑いながら言っていた。その看護婦さんの態度はまるで小学生を諭すようだ。先生、慕われてるんだなと思った。抜糸まではしばらく患部の消毒とか様子見で通院しなきゃいけない。でも最後に先生が言った言葉「これでその部分は絶対に再発しないから」は心強かった。でも先生、その後にも「でも他の部分は知らんよ」という人を不安がらせる一言も忘れなかった。いい先生でした。