無駄削減 part.1。

すでに11月も1/5が経過したということでいろいろとかなり焦っておりますが、まぁ着々とモノゴトは進行しております。
10/31(水) わがダウトミュージックの優秀なデザイナー、佐々木暁くんと市ヶ谷で打ち合わせ。夕刻に喫茶店で打ち合わせていたが興に乗ってビールでも呑みに行こうということになって居酒屋へ。深い話を延々と。「一杯だけ呑もう」というのはもはや立派な社交辞令であることを再認識する。
11/1(木)〜11/3(土) 原稿書き。しんどい原稿がようやく終了。
11/4(日) 是巨人ワンマンライブ@秋葉グッドマン。是巨人は、好きだ。どこが好きかというと「やり過ぎ感」「これでもか感」「なにもそこまで感」。そういったところが大変好きなのであった。リハもちょっと覗いた。三人とも一生懸命だ。この一生懸命さが心を打つ。久しぶりの是巨人のライブであった。心地よい気分で打ち上げにももぐり込む。チャリで出かけたので終電を気にせずに呑めるということはとても楽しい。しかし是巨人、鬼怒くんはクルマだし、吉田達也は中央線なのでダッシュして間に合ったようで、ナスノミツル夫婦のみ「経堂止まりか〜」などと絶望的な雄叫びを上げている。ここのところライブ会場で頻繁に遭遇する(というかオレの行くライブで毎回会っているのではないか?)「山口組」のドラマー、山本達久くんら若い一行は「これからどうせ始発まで呑みますよ、わははは。」と元気一杯だ。若いっていいな...。
11/5(月) 雨だ。寒い。冷え性の私には堪え難い季節がやってくるのだな、ついこないだまでTシャツでよかったのに、これからは色々と重ね着とかしなくちゃいけなくて、ファッションにウトいオレにとってはツラい季節だな、などとこれから訪れるであろうもっと寒い冬に向かって憂鬱な陰りが差し込んだりした。
そして本日11/6(火) GOKサウンドにてマスタリング。「大友良英/2台のギターと2台のアンプによるモジュレーション」。一曲40分。今年の5月の広島のライブ。ミックスはなし。この作品に関してはちょっと面白い企画あり。的確な文章で宣伝告知しなければならないため、少々お待ちくださいませ。3〜4日中にはdoubtmusicのウェブサイトが更新される模様。される模様って...オレがやるんだけど。


GOKで大友良英と色々と話している中で、音楽配信の話になった。厳しい話だ。彼はCDの売り上げは落ちて行く一方で、音楽配信はこれからもっと伸びてゆくだろうとの予測だ。冷静な予測であると思うが、もしその予測が当たるとすれば、なんだか、悲しくもある。われわれの世代は、中学や高校の時に少ないお小遣いやバイト代から、今月はこれとこれを買おう、いやこれも良さそうだ、などとあらかじめ音楽雑誌を隅から隅まで読んで、いざレコード屋さんに行くと、ものすごくいいジャケがあったりなんかして、土壇場で買う予定のレコードを買わずに雑誌の情報よりも自分の勘を頼りに別のレコードを買ったりしたもんだ。音楽を買うというのはそういうものだった。雑誌という情報があるのにそれを無視して自分の感覚を頼ったりしていた。もちろんアタリハズレはあったけど。でもハズレな音でも熱心に聴いたのだ。F.M.N.の石橋さんがブログで「情報」について書かれているけど、全く同感である。当時はまだ音楽の量が少なかったから情報を大切に出来たと思うし、情報と音楽の質が等価だったような気がする(ノスタルジックな幻想だろうか?)。ところがいまや音楽も情報も過剰で自分の目の前を素通りして行っているような気がする。なんにも私の人生に影響してこないのだ。もちろん私自身のせい(トシとか感覚鈍くなったとか音楽関連の内にいるとか若いヤツにはかなわんとか)もあるけど、まぁ、とにかくその過剰な音楽や情報が私には処理しきれないのだ。
過剰な音楽と情報を効率よく処理するためには、余計なものをなくすことだ。小売店は一ヶ月に何百タイトルとリリースされる新作を全て在庫するわけに行かないので、セレクトしつつ余計なタイトルを(泣く泣く)カットしなければならないし、なにしろ在庫が多ければ多いほどそれに課税されるわけだから余計なものを在庫しておくわけにはいかない。売れない音楽から在庫減らしをしてゆくのは「健全な」経営とされるのだ。店舗面積も限られているので、パッケージがなきゃもっと在庫できるのに...。そこで音楽配信だよ! 音楽配信だったらハードディスクひとつあれば在庫はいらないしネットで効率良く聴きたい人に届けることが出来る。音もそこそこ良い。メジャーメーカーも自主制作の音も均等に、平等に、聴きたい人に届けられる。たしかに本当に配信は便利なのはよ〜くわかる。
そしてこないだ佐々木暁くんと話合ったことや、本日配偶者と話し合ったことのなかでとりわけ私が印象に残ったのは、いま(の時代)って、ずいぶん無駄なことがなくなったね、ということであった。オレがガキの頃、友人の家に遊びに行く時は必ずアポなしだったし、親と一緒に親類の家に行く時もアポなしだった。そして友人なり親戚なりが留守でも全く気にしなかった。いま、そんなことは全くあり得ない。のどかな時代だったといえばそれまでだけど、そのアポなしによる往来の無駄な時間。が実に大切だったと思うのだ。本を読むのも無駄な時間だったし音楽を聴くのも全く無駄な時間で、無駄の嵐だったのだ。そういった無駄はこのところすっかり消えてなくなってしまったのだ。この無駄削減の究極の形が音楽配信であると思うのだ。
というわけで書き出したら止まらなくなってしまった。この文章の続き、明日また書きます。