さらば A.K.!

身近な友人の死というものを生まれて初めて経験した。ここ数日かなり凹んでいて、ぼーっと遠くを見つめるような空白の時が一日に何度も訪れる。20日・土曜日夕刻に友人A.K.は永遠の眠りについた。その日連絡を受けたときはまだ実感としてわからなかったのであった。ガンとの闘病中も、お見舞いにいくとアホなことばかり言っていたので、もしかしたらガンを克服する精神力じゃないか、などとわずかな期待を寄せていたのだが、ガン細胞は冷酷にも肺に転移したのであった。それでもA.K.は一度退院して自宅療養していると聞き、じゃあそんなことならまた会おうということで今夏に仲間と連れ立って待ち合わせしたちょうどその日に再入院となった。それでもわれわれ仲間は、またどうせ退院するだろうからその時にでも会いに行こうということにしていたのだが、退院の連絡はなく、土曜日に容態が急変、その直後に息を引き取ったらしい。
月曜日、22日はA.K.の送別会だった。生前は儀式的なことや形式ばったことが嫌いだったA.K.のお別れ会らしく、なごやかな感じなのであった。A.K.ととても仲の良かったKさんとパートナーであったMちゃんらがお別れ会を仕切り、前日にKさんから「沼田、お前絶対に喪服でなんか来るなよ。A.K.のお別れ会だからわかってると思うけど」と電話があり、いつものように薄汚い格好で行った。
棺桶に入ったA.K.の顔は全く穏やかで、ちょっと薄笑いを浮かべて、いつもなら下らない冗談を言う、その直前の表情なのであった。オレはお祈りもしなければ十字を切ったりもしなかった。そんなことはA.K.は望まないだろうと思ったし。すぐにKさんの席に行き、なるべく楽しい話題をつまみにビールを呑んだ。Kさんが明るく振る舞っていたのは痛いほど伝わってきたし、オレもこの場で泣いちゃいかんと我慢した。さすがに堪えきれなくなったときは外に出て喫煙及び涙腺弛緩。会場が禁煙でとても助かった。
終電もあるのでそろそろ帰ろうともう一度A.K.の顔を見た時はさすがにこみ上げてきた。涙が止まらなかった。オレがすぐ側で泣いているのにA.K.は表情ひとつ変えなかった。これが死というものだと思った。このA.K.の表情を記憶に焼き付けようと思った。ドルフィーが好きだったA.K.。ドルフィーを真似た顎ヒゲは真っ白だった。オレと同じ歳だというのに。
オレがディスクユニオンにバイトに入って、初日に話しかけてきたのがA.K.だった。緊張した面持ちで新宿店に一歩足を踏み入れ「今日からバイトすることになった沼田です。」と挨拶するとA.K.は「ああ、私が次長の菊田です。」と言ったので非常に恐縮し「はっ、よろしくお願いします。」と深々と頭を下げると周囲は大爆笑。初っ端から格好のネタの素材にされた。それからは職場は一緒になることはなかったけど、ジャズ担当として本当にお世話になったし、最もジャズ担当が楽しかった時代の中心に、A.K.はいた。会社の経費を湯水の如く使ってフリーペーパーとか作ったし。ディスクユニオン時代の楽しかった思い出の中には必ずA.K.がいる。
A.K.、じゃあね。強烈に楽しかったよ!