某団体。

配偶者の母方の祖母が亡くなったので、この二日はお通夜とお葬式。祖母のみが某宗教団体に所属しており、故人の意思を尊重してお通夜もお葬式も政治団体ともゆかりの深いその某宗教団体の方式で執り行うことになり、初めてその某宗教団体のお葬式に出席。複雑な儀式を簡素化したやり方は理にかなっていると思ったし、トランス状態を誘発するが如き唱和の繰り返しはなるほどこれぞまさに宗教という観を呈しており初めての者にとってはためになること多し。
思い起こせば学生時代はこの団体の勧誘の人(正式名称何というのでしょうか?)がアパートのオレの部屋の二階に住んでおり熱心にオレを誘いにきたのだが、あまりにもしつこいのでこらしめてしてやろうと思い部屋に招き入れ熱心に論破した後は一度も来たことがない。その時にテキトーに援用したのがマルクスニーチェであったことは今思えば恥ずべきことであった。あー穴があったら入りたい。また、それで思い出したが同様に学生時代、論理学のH教授のクラスで巣鴨に呑みに出た際、桜田淳子の、あの、何でしたっけ、あ、そうそう、T一教会。オレが学生の頃はT一教会真っ盛りで、その団体の青年が巣鴨駅前の路上でオーディエンスが一人もいないのに熱心に演説していたところH教授が聞き耳を立て、よせばいいのに「君。いま君の言ったことは論理的に間違っていないか? NがPの与件であるならMは(内容忘れました)...ということになるから君の言っていることは論理として成立しないじゃないか」などと責め立てた。T一教会の青年は一向に動じず、一切聞き耳を立てずに演説を続けた。あっぱれなヤツであった。H教授は「なんだ。つまんないな」とか言ってわれわれを引き連れまた一緒に呑みに行ったのであった。H先生、オレの卒論の担当ではなかったけどすごく好きだったな。一緒に山登りに行ったりしたし。授業中H先生の話を聞かずにベラベラ喋ってた学生を怒鳴りつけその学生が無言で教室を去ろうとすると「ちょっと待て! お前はオレの言ったことに対して何か言うことないのか!」と、逃げる学生を廊下のずっと先まで追いかけていった。歩く論理学とでも言うべき先生だった。去年大学を引退されたと聞いた。
思い出話は尽きなくなる。ま、とにかくその宗教団体の一切の葬儀と、組織力・政治力を見させていただきやっぱりオレは宗教体質ではないわなと改めて思っただけである。