お久しぶりです

ネットというのは恐ろしいもので、しばらく更新していないと「沼田さん、病気になったか死んだかと思いましたよ」などと失礼なことを言うヤツがいて、よっぽど「お前、オレの生死をオレのブログで判断するなよ」と言いかけたが、やめました。ネットには全ての情報はございません。もしくはネットの便利さのカゲには何かを失う危険性がございます。そういったことを考えられない無自覚でナイーブで小児病な精神性にオレはついてゆけません。
さてONJOの大作2作品のリリースを終え、脱力感満点の9月でしたが、そろそろまた地下ゲリラ活動に入りたいと思います。地下ゲリラ活動を起動する上でここのところ刺激的だったことがいくつかあって、まぁあまり全てバラすのもナニですからいくつかだけ。
ナルちゃんと大友っちのデュオ・ライブ(9/22@ピットイン)の帰り、総勢8人くらいでナルちゃんオススメのめっちゃ旨いイタリアン(あえてここでは名を伏せますがhanakoか何かに彼が執筆したそうなのでそちらを参照ください)に行ったときのナルちゃんの言語論と音楽の通史の話。いま彼は芸大で講師をやっているそうだけど、その講義にモグリで行きたくなった。それほど彼の話は刺激的で、というのはやはり今オレがとても興味を持っているのが言語論なので絶妙にそれがシンクロしたというか興味の矛先が同じだったというか、まあそういったことですな。
クラシック、というか現代音楽を聴く日々。バッハ、スクリャービンウェーベルン、ベルク、シェーンベルク。とまあ内の配偶者のガイドに沿いながらCDを買い集めてはヘッドバンキングしながら、半笑いしながら聴いておりますです、ハイ。アドルノの本(音楽社会学序説)がようやく増刷になったのでさっそく購入して読み始めた。これも大笑いしちゃうんだけど完膚なきまでのジャズやポップス(つまり商業音楽、です)に対する反感と憎悪。そんなに嫌わなくてもいいじゃん、ポップスを。といっても彼は多分マルクス主義者だから、アタマで考えてそれが感覚に浸透してしまうんだろうな、どうしようもなく。陰ではコルトレーンを涙流しながら聴いてたりした、などというアドルノの伝記などはないのだろうか。あと笑ったのが聴取者の分類。ものすげー偏見。じゃあアドルノさん、あんたはどこのタイプに入るのよ、というのを是非問い合わせたい。学術書の最大につまらないところは、自分のことを棚上げにして客観性というオブラートに包んでしまうところなんだろうな。まだ1/3くらいしか読んでないけど。
The Thing 来日(10/1 & 2 @ ピットイン)! マーク・ラパポート氏の尽力によりこのライブが実現したことにまずは敬意を表することとし、この圧倒的な演奏力と破壊力に感激した。他の数多あるこういったグループとの差異はなんなんだろうな、と頭を悩ませた。数々の意見はあろうが、そのなかのひとつに前述の「言語感覚」はとても演奏に影響しているような気がする。気がするだけですが。例えば「エクストリームな音楽」と言ったときに「エクストリームな」という言い方と「極端な」という言語理解の間にかなりの溝があると思う。そこが演奏する側、もしくは聴取する側に何らかの影響を及ぼしているとおぼろげながら思ったのだ。音楽を聴くときは何らかの形で言語に翻訳して音楽を聴いているのだから、それが影響を及ぼさないことはありえないわけで、その差異はないとは言えない(ちょっと弱気)であろうと。The Thing は「エクストリームな」というよりは「マッチョな」演奏だけど、「マッチョな」という言い方と「たくましい」とか「男らしい」とか「肉体的な」とかいう各々の言い方ではニュアンスが異なるし、言葉を選ぶということはその言葉が意味する以外の意味を排除するということでもあるわけで、The Thing、良かった、楽しかった。と言っておくのが一番無難で頭を使わない言い方ではあるのだが。まあこういったことをおいおい考えてゆきたいと思います。(つづく)