制度とは?

『幽閉者』サントラCD発売記念イベント@浅草アサヒ・アートスクエアへ。その前にダブルブッキングだったヒカシューのライブ@秋葉dress Tokyoへ寄って巻上さんに『Moon Ether』を届ける。こないだのニュージーランドのフェスでは、売れまくったらしくて手持ちが全てなくなったらしい。そういう話を聞くと本当に嬉しくなる。リハの時間を割いてくれてわずかながら久しぶりに巻上さんとそんな話をちょっと。ヒカシューも見たいのはヤマヤマだったが、以前からスケジュールが決まってた浅草へ。巻上さん、ごめん!
最初の安立監督と大友っち、そして佐々木敦さんの話の言葉に引っ張られる形で私のライブの感想を。演奏者は大友良英、ロードリ・デイヴィス、飴屋法水Sachiko M、秋山徹次、ジム・オルークの6人。ジムのきれいなギターのメロディから始まり、次第に即興演奏へ。演奏開始10分ほどで私は3〜5分ほど爆睡(ごめんなさい)。その後はしっかりと演奏を聴きました。で、即興というのは、とある制度から解き放たれている面白さと制度から解き放たれているが故にとりとめがなくなる部分を常にはらんでいて、そのふたつの要素が並列して進行するからオレにとっては面白いわけで、ただ、後者の要素の全くない即興に関してはオレはあまり興味がない。後者に関しては、プロフェッショナルになればなるほどその量が減少してゆく。いわばどこからも逸脱しない安全な即興を見せ、観客はそれを歓迎する、という、これも言ってしまえば「制度」みたいなものが成立してしまっているからだ。その危険性を最も敏感に、常に察知しているのが大友の凄いところだと私は思う。今回も飴屋さんがいわゆる「楽器じゃないもの」をプロではない音楽家として「演奏」した。そして(これは大友が長きに渡り実践してきたことでもあるが)いわゆる「ジャズの」即興とは全く違う語彙によって集団即興が奏でられる。この音の塊がここまでポピュラリティを得るとは大友本人も予想していなかったことだろうと思うが、これは多分聴衆の意識が変化してきたことの現れなのではないかと思う。メロディも一定のリズムも全くない音の塊の中である時突然大友がアコギでコードに沿ったテーマを弾き始める。この部分はオレにとっては全く衝撃的だった。どんなフィードバックのノイズも、激しいサウンドも、この柔らかな大友のアコギ・サウンドの暴力性にはかなわないと感じたのだ。音楽の制度を逸脱した演奏の中に再び生まれるある制度。それをその制度を暴力的に破った大友のアコギのサウンド。もちろんそのコードやメロディは『幽閉者』という映画のために作られたものであるが、その登場のさせ方というか、その意外性というか、にオレは驚いたのだった。音楽に関する文章でよく見かける「暴力的な」とかいうコトバはこの大友の暴力性に比べると何と皮相でうすっぺらいもんなのかな、と思う。音自体が「美しい」とか即興が「すごかった」とかではなく、冒頭の3人の対談の内容に引っ張られて音楽を聴いてしまったのだが、皆さんはどう聴かれたのか。興味津々だ。
打ち上げに出席する予定ではなかったのだが、京都から石橋さんも来てたし、上記のような新たな「発見」もありなんか嬉しかったので予定変更で打ち上げに参加。皆様お疲れさまでした。