大竹伸朗展『全景』@MOT。

徹夜して原稿書いて、そのまま呑みに出て、ぐったりして夜中家に帰り、13時間連続睡眠、その夜、また呑みに出て、また12時間連続睡眠。酔って眠るとどうも睡眠が浅いようで、それだけの時間眠っていたとはいえ、実際に深い眠りについているのは何時間くらいなのか。少なくとも快眠というにはほど遠い。そんな生活をここ数日していて、どうも身体がダルくて、ジャンクのような体調のまま、遅ればせながら大竹伸朗展『全景』を東京都現代美術館まで見に行った。
午後起きが日常となったここ数週間だったので、閉館が6時というのはけっこうキツい。入場は3時で、3時間でも全てをじっくり観ることはできないだろうという予測は案の定当たり、最後の方はけっこうハイペースで全作品を観ざるを得なかった。途中ご本人が遠隔操作演奏するダブ平&ニュー・シャネルのライブに見入ってしまったのも後半のハイペースに拍車をかけた。
美術に関してはズブの素人である私も、さすがに大竹氏の全作品から伝わってくる強烈な表現欲求に圧倒される。そもそも私が大竹伸朗という名前を知ったのは'82年頃の彼のレコード、19(JUKE)によってであった。妙竹林なノイズとも実験音楽ともつかないそれは、それでも変な明るさを持っていて、いわゆるノイズ・ミュージックとくくるにはちょっと違和感を感じさせるものだった。池袋の自主専門のレコード屋さん「五番街」に、いつ行っても売れ残っていたのを良く覚えている(笑)。
小学生時代からの彼の作品全てを展示するという、展示量にもまず圧倒されたが、入り口入ってすぐの膨大なスクラップブックは、多分彼の作品作りというよりは、彼の根本をなすもの、趣向性、彼が彼たるべきもの、コトバで何といっていいか分からないけれど、そんなようなものの集成だと思った。エッチングなどいわゆる習作にはあまり興味は向かなかったが、ヘンリー・スレッギルのジャケットにも使用された「家系(図)」をはじめとする、廃品やゴミや落ち葉といったあらゆる「使用されなくなったもの」を、テープやボンドやホッチキスや画鋲やネジやクギといったありとあらゆる「接合させるもの」でツギハギにしてコラージュした巨大な作品は、やっぱりオレに強烈に訴えかけてくるものがある。この言い方に誤解がなければいいのだが、やはり80年代を通過している人だなーというのがひしひしと感じられる。いや、80年代の、とある細い道筋、と言った方がより誤解がないのかな。その細い道筋は私も確実に通過してきた道筋であるし、「80年代はカスだった」という言説を大見得切って言う人には決して分からないだろうと思うのである。少なくとも80年代のきらびやかな表面部分ではないことは明らかなのだ。そういったジャンクな作品群にオレがとても共感できる、というだけの話ではあるのだが。スクラップのコラージュを延々と目を凝らして観ていると、ある時その「一貫性」にちょっと笑いが止まらなくなってしまって困った。
3時間ではやはりとうてい足りなかった。でも、実際「使用されなくなったもの」同士の組み合わせ方とか接合のさせ方には本当に筋の通ったものがあって、これは実際の作品を見なければ分からないことだろうとも思うので、とても充実の3時間ではあった。