音楽を売る。

JOJO広重さんの日記は全く身につまされる。
http://www.kt.rim.or.jp/~jojo_h/ar/p_diary/diary.html
10/2付けの日記には音楽(の周辺)でメシを喰うことに関する痛烈な批判が書かれている。私は思いっきり音楽(の周辺)でメシを喰っている身である。したがってdoubtmusicから出す作品はすべからく売れてほしいと思うし、それが私の生活につながっている。「出したものは頑張って売る」。これが私の素直なスタンスだ。しかしそこで魂だけは売り渡さないと決意したのは2年前のことだ。私のスタンスもここでハッキリさせておきたい。魂を売り渡すとは「売れるように音楽を作ること」である。私がいま思っていることは「作品作り」と「音楽を売ること」は別の仕事だということだ。でも当然両者はあらゆる部分で干渉し合うし、全くかけ離れたことであるとは言えない。実際、録音されたものをミックスして曲順を考えるときでも、「一曲目はこの曲で」と決定する際、全く商売のことが頭の中にない、とは言えない。つまりこれを一曲目に持ってきた方が熱心なファンの人は喜ぶだろうという、私の中のエンタテインメント性というか、そういう弱気な部分が出てしまうのだ。あと、ジャケットはどのようにしたらいいか、とかね。しかしそれでもなおその相反する両者を「別のものだ」と宣言しなければ、音楽を見失うような気がするのだ(ちょっと弱気)。
インディーズのレーベルはみんなそう思ってやってるんじゃないのかなー。と思うのはあまりにもナイーヴな意見なのか。魂を売るならメジャーなレーベルに就職した方が給料はいいし、ずっとストレスがないと思うんだけどなー。会社の方針に従って作品作りゃいいだけの話でしょ?
広重さんとはスタンスが全く違うし、身につまされつつも一部同意できない部分もあるが、彼の日記はとても貴重だしいつもとても考えさせられる。もちろん石橋さんのブログも同様。
上記に関連して、最近とても共感したのは『憲法九条を世界遺産に』(太田光中沢新一集英社新書)の太田光の立脚点というか思考の方法だ。彼の意見は賛否両論あるだろうが、まあそれは置いといて、彼はまず自分の中に矛盾があるということを吐露し、そこを出発点として二者択一しつつ、それでも矛盾は拭えないという、実にスマートではない思考の道のりを歩む。でも私はここにとても共感を覚えた。学者先生とか政治家はそんなことは絶対に言わない(というか言えない)。言ったら学者生命・政治家生命終わりだから。こういう思考の道のりが実はとても大切なんじゃないか。広重さんのブログを読んでついそれを思い出した。