バカな夢。

最近の起きがけに見る夢が面白すぎて困るのだ。
昨日の夢はバレーボールをやってて、あまりにもでかいボールなので、これは6人も要らない、オレ一人で十分だ、と夢の中で思うわけです。で、サーブを打とうと思ったらそのでかいボールが生の烏賊に変わっている。烏賊を打ったら吸盤が手のひらにくっつくわけです。ううっ、なんか辛い。案の定烏賊はネットにひっかかり、三角の頭を下にしてネットにぶら〜んとぶら下がった。試合は緊迫している模様で私はけっこう焦っている。そこで目がさめた。「なんか辛そうだったよ」と配偶者。「バレーボールが烏賊に変わる夢見てた」とオレ。ウケる配偶者。そして彼女はすぐに仕事に出かけた。
あまりにもバカな夢で笑った。でもバレーボールの夢はいまだによく見る。中学、高校とバリバリのバレーボール選手・体育系だったのでそれがよほど強烈にオレの人生を形作っているのか。高校のバレー合宿にて貫徹で麻雀をしてから練習に臨んだとき、ボールがイーピンに見えたりネットが一気通貫(←漢字これでいいんだっけ?麻雀の役のひとつ)に見えるというナチュラルハイも経験した。また、やはり貫徹で麻雀をしてから行った別の練習試合では、池田(セッター。現在も旭川在住。旭川でのオレの貴重な呑み友達。)がブロックに飛んで前歯をネットに引っかけ、前歯が抜けた。タイムがかかり相手高校のメンバーとオレらでコート内で抜けた歯を探した。池田はしばらく前歯が抜けたまま授業を受けたりしていた。その他、キリがないほどオレらはバカであった。
そういったあまりにもバカで貴重な経験をしたのでいまだに夢に出てくるのだろうか。仕事とバレーボールが繋がったり、音楽とバレーボールが繋がったり、夢は実に自由な発想をする。いずれにせよオレの場合のキーポイントはバレーボールなのだ。普段意識せずともバレーボールが少なからずオレの中ではアレゴリーとして存在しているのだ。こういうのはどうなのだろう。よく音楽批評で音楽を食べ物に例えたり、他の事例に例えたりするのを見かけるが、とんでもないと思っていた。音楽は比喩では語れないんだよ、と。でもオレのバレーボールのことを思うと、それもアリなのかなとも思える。
まぁどうでもいい話を書いてしまった。このところ暖かい日が続いたと思ったら急に寒くなったりして、皆さん風邪をひかないようにご注意ください。