庶民な私。

2月4日(土)
配偶者のお供で、初めて国立国会図書館に行く。どうせなら絶版でずっと探していた本を探そ。と思ってパソコンの検索で探したら、長年探していた本(2冊)がすぐに見つかり、さっそく閲覧予約。おりしも土曜日の閉館(5時)間際。ギリギリのタイミングで本を渡されたので、急ぎでコピーコーナーに行き、コピーをお願いする。これも初めて知ったけど、書類著作物のコピーは半分までなんだってね。したがって一冊の方は5章立てのなかの1章分のみをお願いし、もう一冊の方は諦めた。でも背表紙をしっかり記憶に焼き付けたので古本で探すことにしよう。半分今日コピーして残りの半分を後日コピーするというセコい手もあるが、まぁ古本探しの楽しみを残しておくつもりで。
ところで国立国会図書館に関しては、これも今日初めて知ったのだが、国家の手を離れて独立法人化するそうで。ニュースソース → http://d.hatena.ne.jp/kachifu/20060204大友良英のブログのトラックバックより)
一昨年の輸入盤規制法案、最近一部で話題を呼んでいる電気安全法案など、そちら方面に関わる者としては暗澹たる気持ちで一杯だ。しかし私は、これを「文化」の問題で反論しようと思ってもダメだと思っていて、文化というコトバ自体が曖昧(つまり法案を作成する側と反論する側の概念定義の問題)なわけだからそこを礎に反論しても有効ではないと思うし、文化というとなんだか胡散臭い気がするのだ。では何が有効かというと、どういう既得権益の保護がなされるのか、どのような利権が新たに発生するのかを綿密に調べるしかないと思う。

2月5日(日)
そこで綿密に調べようと思ったが、とてもメンドクサイしその道のプロではないので相当時間がかかりそうだ。そこでさっそく某議員にさっきメールを送っておいた。「電気安全法と国立国会図書館の法案についてどう思われますか?」と。もちろん自民党以外のね。それで返信が来たら「その法案が通ったときの既得権益に関して裏情報を事細かに調べてみてくれ」と。よりメール上で議論が進んだら「国会審議では文化を語ってくれるな。利権の獲得に関して暴き出してくれ」と。
突如私がこのような行動に出たのは、実はここのところヒマでヒマで、むか〜し学生時代に理解できなかった論理学の本を読んでいたのだ。これは一日一冊とは行かず、並行読みなんですけどね。ヴィトゲンシュタインを読んでいたときに、はたと気付いたのであった。「あ、そうだ。主権在民だ。」と(笑)。全然ヴィトゲンシュタインは頭に入ってなくて、その文字面から「あ。そうだ。主権在民だった。」と気付いたのであった。小難しい本も読んでいると何か考えて何か気付くもんですね。ヴィトゲンシュタインはやっぱり全く分からないにせよ。
つまり主権在民・代議制民主主義というのは主権は国民であって、議員はあくまでもその国民の代表なわけだ。私は国民だ。ゆえに議員は私の代弁をする義務があるのだ。ここのところ主権在官(そんな言葉ないか。)もしくは民(といってもオレのような低層民)のわれわれが官とメディアに非常にバカにされているような事件ばかり相次いで、ムカついていたタイミングでもあったのだった。
実際、美術館や博物館などが独立法人化され、資料を借りるのにその使用料が値上がりしているのが現実である。やはり不便になるのは確実にわれわれ庶民だ。電気安全法はまだ施行されていないので実際にわれわれに被る不利益は予測でしかないが、こと音楽に関していえば暗澹たる未来の予測が容易である。