夢を見た。

18日は何もなかった。夜眠りが浅かった。夢を見た。
旭川市錦町13丁目。私がガキの頃育った住所。私は谷嶋くん(ガキの頃の友だち・多分今はその筋の人になっているはず)の家の方から眺めている。畑に囲まれているあの風景そのまま。ちょっと違うのはそこにばあちゃんちがある。元あったばあちゃんちとは造りが全然違う。法事らしくて私はばあちゃんちに入ってゆく。広い家でずっと廊下を歩き一番奥の部屋の正面に仏壇がある。仏前に供える菓子折のような物を仏壇に置き、オレは鉦を鳴らして手を合わせる。ふと振り向くとそこにばあちゃんがいた。「ああ、ばあちゃん、二、三回来たんだけどいつもばあちゃんいなかったんだよ。久しぶりだね。」とオレが言うとばあちゃんはにこにこ笑った。
夢の記憶はそこまで。ばあちゃんは32年前に亡くなっている。何故今ばあちゃん(母方の)が夢に出てくるのか。しかも夢の中のオレは現実的な認識力に欠けていて、ばあちゃんが存在するのは当たり前だと思っている。「二、三回来たんだけど」という言葉も何なのか。これも言い訳とかではなく、夢の中のオレは「夢の中の事実」としてばあちゃんに語っているの。つまり明らかに存在する過去として夢の中で明瞭に私は認識しているのだった。死んだとうちゃんも比較的頻繁に夢に出てくるのだが、その時も夢の中でのオレの認識はあくまで夢の中の認識であり、夢の中のオレ。というキャラを演じている。
時々夢の中で「あ、これ違うぞ。」とか「これは夢だ」と現実的な認識しているが、亡くなった人が登場するときは必ず現実的な認識力を欠いている。何故なのだろう。現実的な認識力を欠くことによって故人を偲んでいるのだろうか。夢は本当に謎だ。
でもばあちゃんの夢を見て、なんだかほのぼのとした気分、というかほっとした気分になったよ。