インタビュー&アジアン・フェス@新ピ

昼3時。白山の喫茶店にてSPLUCKというフリーペーパーのインタビューを受ける。インタビュアーは河野さんと安田さんという二人の女の子。河野さんは   で   だし、しかも  くんの生徒さんだし、安田さんは   の時に呑みに行って一緒になってオレが酔っぱらって色々と失礼なことを聞いたらしいし、   のカノジョだし二人とも面識はあったのだった。しゃべりまくってすみませんでした。あれを原稿にまとめるのはさぞかし大変でしょう。とりとめのない話ばかりしてホントウにすみませんでした>お二方。
そのインタビューを終えて今度は新宿ピットインにて大友良英が主催するアジアン・フェスの一日目。私は物販をやらせていただく。会場には色んな人が来ていてここには書き切れません。副島さんが連れて来たメールス・フェスのブーカルト・ヘネンさんもいらしてた。久方ぶりに話をしたけど、相変わらず精力的だなー。メールスのプロデューサーは降りたけど、別の新たなフェスを企画中とのこと。私が一人で新たなレーベルを始めたことを伝えるととても祝福してくれて、オレも単独で新たなフェスに向けて前進するから連絡取り合おうな、とか言ってくれてなんだかとても嬉しい。
ライブはどの出演者もとても興味深く、かつとても楽しめるものだった。特にディクソンさんのラップトップは面白かったなー。ディクソンさんの出す音はとても温かく、優しく、オレの心に響いたよ。ラップトップ・ミュージックっつっても色々な音の出し方や音の並べ方や構築の仕方がある。
でも今日は出演者全ての音を聴きながら、オレはその音に対して、やっぱり記憶を頼りに聴いていることに気付いた。というか、各々の音をリズムとか、音階とか、そういったことに必死に当てはめようとしている自分に気付いた。なんだかなー。「ピュアに音を聴く」ということがまだ出来ないようだ。
例えば電車に乗っている時に電車の音はリズムに聞こえるし、工場の音は相対音感でもってメロディに聞こえる。それはそれでいいのだろうけれど、そういった聴き方は本来こういうサウンドを作っている人たちの意図する聴き方とはちゃうんやないか?と思ってしまうのだ。もちろん音楽を聴くときには誤解というのはつきものなのだが、なんだか不自由な聴き方をしている自分に気付くときはちょっと悲しい気分になる。そういった部分で私にとって一番分かりやすかったのがディクソンさんだった、というわけだったのだ。
人間誰しも不自由な音楽の聴き方をしているわけだが、せっかく大友良英やSachikoMがパラダイム・チェンジの提案をしてくれているのに、それに身体(耳)がついていけないのはけっこうつらい。頭で考えるロジックと身体的な快楽装置のつくりが私の場合非常にアンバランスな気がしている。みんなはどのように今日の音を聴いたのだろうか。
オレはまだまだこういった音群を批評出来ない。(とかいいつつ色んなこと言ってるけど。)あと5年〜10年くらい年月を要するような気がする。ま、ドンクサイですから、オレは。
明日からは溶け出すONJOを見ることが出来る。ONJQの時もそうだったのだが、私はこの瞬間がものすごく楽しみなのだ。もちろん再生してゆくONJQ(やO)ももちろん好きだけれど、溶け出す瞬間はこの上なく美しいのだ。すごく楽しみにしている。