ダウナー。

もしバイオリズムというものが本当だとしたら、いままさに私はバイオリズム曲線の最低値あたりをさまよっているのだと思う。夜眠れないし、そのおかげで昼眠くなるし、疲れやすいし、食欲もあまりないし、ダウナーな体調なのだ。そういう時は思考もダウナー気味になり、世で言う「後ろ向き」の思考回路となる。考えることといえば、「死」に関することとか、その他諸々。いま朝6時だ。夜12時に寝て3時に目覚め、眠れなかったのでこうして起きているわけだ。
そもそも世の中が「前向きの思考」を推奨するのは何故なのだろうかと考えてみるに、これは企業体が経済活動において労働力を潤滑に動かしてゆくための徹底的な刷り込みではないのか。日本が高度経済成長を遂げた60年代〜70年代は、未来は明るく後ろを振り返らずともそれに見合う報酬が得られた。後ろを振り返る暇などなかった。これだ、と経営者は思ったに違いない。何も考えずに羊のように会社人間になりきってもらうこと。そのためには、人間に一番必要とされる哲学的な思考をさせないことだ、と。それを「前向きの思考」と名付けた。疑問を持たずに上司の命令に「前向きに」従う態度。あたかもそれが人生にとっても非常に大切な思考方法であるかのように。
私は思考の方法はひとりひとり違って当たり前だと思っている。「前向きの思考」方法が正しいとは必ずしも思わない。もちろん失敗したことをいつまでもくよくよして次のことが始められないような態度はいかがなものかと思う。そういった各論ではなく総論のことを私は言っている。そもそも前向きの「前」という一見ポジティブに聞こえる方向指示のまやかしで、「後ろ」がネガティブなあり方としてとらえられること自体、不可思議である。
時間においては「前」はふたつある。時間の進行を歩行のアナロジーでとらえると未来が「前」であり過去が「後ろ」である。しかし時間の概念上、正しくは過去が「前」であり、未来が「後ろ(後・アト)」である。「前向き思考」の「前」は前者の歩行のアナロジーによって時間をとらえた考え方だ。くだらなさすぎ。っつーか一方的すぎ。思考というのはそんなに単純化出来ないもんなんですよ。そういうのをメタ思考。と言うんだけど。
だから私がダウナー気味になったときは、思考回路が開かれ、「死」についてのことを始め、様々なことを考えられるいい機会だ。それを論理に出来るか出来ないかは別にして。