充実の土曜日。

高校野球決勝。しっかり1時からTVの前にかぶりつき。自分の感情を冷静に分析してみた。どうもオレは敵同士が試合を終えてお互いを称え合う場面とか、全力を出しきって戦う場面とか、それにも関わらず結果が得られなかった場面とか、そういう部分で感激して泣くようだ。感情の動きは一人一人微妙に違うだろうし、それはその人が育った文化環境とか教育とか、果ては国家レベルにまで話は及ぶと思うので、簡単に結論が出るものではないと思うが、では、私はどのような環境が、どのような教育が、そのような感情の動きを形作るのかと考えると、けっこう面白い。そういったわけで私は心理学プロパーの学者は全く信用していないし、少なくとも私が生きている間は人間の感情の動きは解明されないだろう。感情をコントロールすることも出来るしさ。あまりにも感情をコントロールするとストレスがたまるし、コントロールされない感情はしばしば犯罪を引き起こす。結局「わからない」という部分に依拠しないとギスギスした生活しか送れないですね。「わからないということをわかる」という、古くはソクラテスが言った言葉は至極名言だ。
夕刻、配偶者のおばあちゃんが入院している病院へ配偶者と共にお見舞いに行く。墨東病院から別の病院に移り、個室ではなくなった。3人部屋だ。ばあちゃん以外の二人のばあちゃんもほとんど意識らしいものはない。ばあちゃんも相変わらず意識はなく、目は開いているのだが頷いたりすることすらできない。同室端に入院しているおばあちゃんは大きないびきをかいて眠っていて、時折ゴロゴロと鳴る痰の音が痛々しい。しばらくばあちゃんの側に居てあげて、ちょうど夕焼けが美しい時間になったので病院を出て江戸川まで散歩。それから配偶者の買い物に上野までつきあい、飯でも喰おうかということになり、上野でジンギスカンのお店を発見し、そこに入る。なんと松尾式ジンギスカンだった(鍋にスリットがなく、タレと油が鍋の周りにたまり、そこで野菜を煮込む)。肉も松尾ジンギスカンから仕入れているという。旭川出身者としてはこれは嬉しかった。そして確かに松尾ジンギスカンの味だった。嬉しかった。もちろんマトン中心にたらふく肉と野菜を喰いまくった。隣にいたカップルはジンギスカンは初めてらしく、オドオドしていたのでよっぽど教えてあげようかと思ったのだが、よけいなお世話だと思ったのでやめた。上野界隈は羊肉のお店が増えてきて嬉しい。