ジェイムス・チャンス!!!

昼間、コンビニに行くため道を歩いていたら、向こうから妊婦が歩いて来た。けっこう若くて綺麗な人だったのでちょっと見とれていた。その女性とすれ違い、また向こうから妊婦が歩いてきた。と思ったら単に太ったおばちゃんだった。すれ違いざまに心の中で「これは違う。」と思った。
その瞬間。自分が心の中で思った「これは違う」がたまらなく可笑しくなり、笑いが止まらなくなった。歩きながら笑っていたらすれ違う人々に「こいつアブナい」みたいな感じで見られた。コンビニでも笑いはおさまらず、終始ニコニコしていた。ヒキコモリはこういう事態も引き起こします。
夕刻からジェイムス・チャンス&ザ・コントーションズを見に、代官山UNITへ。そういえばDCPRGも3年ぶりくらいか。DCPRGはとてもカオティックな演奏。これじゃ踊れない。でも逆にとても整合性のある音楽に感じた。
ジェイムス・チャンスはめっちゃカッコ良かった。これだよ、これ!!と、不協和音の塊の音の渦に終始身を委ねていた。オレの第二のルーツはやっぱ、パンクだったんだ、と再認識した。楽器が上手くなっていないところも清々しくてメッチャいい!! とにかくハチャメチャ感が出てて、やっぱりそんじょそこらの音楽じゃないなー、と嬉しくなった。
それにしても若い人々が多かった。オレより10歳若い人、もしくは20歳若い人は確実に音楽の聴き方が変わってきているんだろううなー、と思う。コントーションズの不協和音を「カッコいい。」と思えるのは素晴らしいことだと思う。オレの同世代は全くダメだ。まあ80年っつーのは最悪にゲスな時代だったからなー。70年代後半からロックすらダメダメになって、安心できる音楽が一般化されてくると、コントーションズやDNAやらといったキケンなバンドが沢山出てきた。その情報にリアルタイムに反応できたのは本当に良かったと思っている。それがなきゃ今頃オレはどこかの会社の課長とかになって、ファックな人生を送ってるんだろうなー、サザンとか聴いちゃってさ。80年代がダメな時代だったから逆にコントーションズとかが面白かったのだ。ほとんどの人は80年代を堪能して、わたせせいぞうとかの世界に憧れてたんだろーなーと思うと、今更ながら笑える。良かった。コントーションズ聴いてて。会場に来てた若い人々は、本当に羨ましい。私よりも聴く耳が開かれていると思うからだ。たとえリアルタイムで聴いていなくてもこのカッコ良さを面白がれるということは、確実に耳が進化(もしくは退化?)しているということだろう。素晴らしいことだ。
ライブ終了後、会場で会った金野くんとふたりで中目黒の沖縄料理屋でビールを呑みながら本日の総括をした。まさに心地よいビールであった。
それにしても明日北海道へ帰らなきゃいけないと思うと悔しくてしょーがない。明日はRECK + 中村達也 + 大友良英ではないか。泣いても泣ききれない。まぁ、オトだけは某所から聴かせてもらえそうだが、やっぱ基本的にその場で起こった「音」は二度と戻ってこないわけだ。ドルフィーが言ったように。だからライブの現場に居合わせなきゃダメなのだ。北海道の用事とは父親の20回忌法要なので、これもどーしても外せないらしいのだ。オレはどーでもいんだけど、母親への配慮というか、まぁそんな内輪な親孝行であるとか世間体であるとか、そういったことが世の中では重視されているということですよ。ガッカリです。