生!老!病!死!

朝、歯を磨く。二年前に親不知を抜いて、その手前の歯を治療したのだが、親不知があった部分の歯茎がまだゆるゆるなのである。生活に支障は来さないし、痛くもないのでそのままにしているが、歳をとると肉体的な回復がやはり遅くなる。
先日自転車で走りまくった太股筋肉の痛みも本日やってくる。
四苦といって仏教では生・老・病・死が人間の苦しみだという。全てが辛い。そして悲しい。老いたと感じるときに肉体を意識し、病気になったときに肉体を意識する。生と死も肉体を意識させはするが、とても形而上的である。
私は高校生まで体育会系だったので、肉体的な機敏さとか、反射神経とか、運動能力は優れていると思っていた。それが打ち崩されたのは30歳頃であった。いつものように電車に飛び乗ろうと思った瞬間、軸足が滑り着地点が電車の中であるはずだったのが、ホームと電車の隙間が着地点になった。とっさにもう一方の足でホームに着地したが隙間にはまった足の方は弁慶の泣き所を電車に強打し、鮮血が流れた。よく見てみると骨が見えていた。ひ〜〜。
そのときは痛さより、自分の運動能力の明らかな衰えにショックを受けた。こんなはずじゃない。オレは。過剰な自意識が崩れ去った。ケガも含め、この事件が結構トラウマになっている。小田急線・向ヶ丘遊園での出来事であった。
同時期病気にもよくかかった。栄養失調による腹痛で救急車に運ばれたりやはり栄養失調で点滴受けたり軽い自律神経失調症になったりと、さんざんな時期であったのだ。
つまり30歳くらいまで私は観念論的に生と死を考え、30歳のその時期を機に老と病を考えるようになった。それは結構リアルなことになってきたし、生と死も観念論では済まされなくなってきた。
そんなことを書いてどうなるわけでもないけれど、このリアルさを常にリアルであると意識しなければ盆暗になると思うからだ。ただでさえ脳みそが弱っている私がこれ以上盆暗になったら本当に世の中から抹殺されるような気がする。

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