罵倒のしかた。

昨日の夜酔っ払って書いた日記を見るとけっこうイタい。最後の方はわけ分かんなくなってるし。いかんなぁ。酔っ払って書くもんじゃないなぁ。とはいえ自分では削除したりしないのは、その時にそう思ったからだ。酔っ払っているとはいえその時そう考えていたのだ。この日記の機能としてはそういうのを簡単に取り繕うことが出来るのだが、敢えて晒してみるのもいいかなと。私のダメさ加減を。
ここ二、三日は疲れた。自称・慢性疲労症候群だから何にもしてない日も疲れてはいるのだが今日は特に疲れた。まず電話がとても多かったこと。これはまたデザイナー佐々木暁vs印刷屋の例の、以前の日記にも書いた作品vs製品という部分でまたモメたこと。それから、これからの仕事を箇条書きにしてみたらド〜ンと重くのしかかってきたこと。締切とかカネのこととか、こんなんでオレ喰っていけるんか、とか。それを考えたら疲れた。
IMJの鈴木美幸から電話があり、打ち合わせ。自転車で出かける。鈴木さんと会って話してたら、なんかほっとした。彼はなんだか人をほっとさせるオーラを出している。彼のようなポーカーフェイスというか、何があっても悠然と構えてる佇まいにオレは比較的憧れる。彼から比べるとオレはまだまだ人間出来てないなーと思うのである。いや、彼だけじゃなく、色々な人と会うと自分がいかにダメな人間かを再認識する場面がしばしばある。本当にオレはゲスな野郎だなーとつくづく思うのである。感情的で、人に迷惑をかけ、ケチでカネにうるさく、うじうじと人の噂をし、そのくせ見栄っ張りで腹黒く、色々なことをごまかして生きていて、権力に弱く、欲の皮がつっぱてて、物欲しげで、しつこい。
これから初めて私と会う方は、私は上記のような人間なので注意した方がいいです。こういうのを普段から心の中でちらっと思ってたりはするが、こうして文字にしてみると本当にヒドいヤツだ。サイテーなヤツだ。
ところで人を罵倒するときはなるべく相手が傷つくように罵倒するのがよい。ではどのように言えば相手が傷つくかを見極めなければならない。それはこちらが持っている相手に関する情報量によるし、なにしろ相手の心のひだの部分を読まなければならない。相手が持っているであろう心理的コンプレックスをつついてやるとそれは一言で罵倒の極北だ。文字通り相手を罵って倒す。自分がこう言われたらイヤだな、ということを相手に言っても相手が全く動じない場合は相手と自分の、ある意味世界観が全く違うのだ。つまり「この上昇志向のファック野郎!」と言ったとき、自分の中には「上昇志向は恥ずかしむべきことだ」という根本的な人生観があり、たとえ内心「エラくなりたい、上昇したい」という欲求があってもそれに何らかの歯止めをかけている根本思想(理性)があるわけだ。しかし相手が「上昇志向って人間だからあって当然じゃないか」みたいな開き直りというか、その人生観が確固としたものであれば、それは罵倒にはならない。「ファック野郎!」部分を除いては。
こんなことを常々考えているから慢性疲労症候群(自称)になるのだろうか? しかし考えずにいられない。最近ヒキコモリ気味なので考え方がだんだん後ろ向きになって行っているのだ。