読書について。

マツ・グスタフソンのジャケットとCDが納品されるまでの2〜3日は大変ヒマになる。というわけで本日はヒマだったので1日読書に耽った。でも「買ったから読まなきゃ」という強迫感は結局ダメですね。面白く本を読めない。テキトーに読み漁るのがよい。そしてその文書なり内容なりが面白ければ入り込む、という読み方が一番いい、というか、お気楽。贅沢と言えば贅沢。私は大学生の頃から、買った本は最後まで読む、という習慣が身に付いているので(貧乏性とも言う)、面白くなくてもついつい読破してしまうのだ。そして読書というのはそうあるべきだと思っていた。ところが永江朗氏の『不良のための読書術』を読んでからというもの、けっこう目から鱗で、なんか読み方も随分いい加減になった。何のために本を読んでいるのかをわりと考えるようになった。何のため? 別にそれは何のためでもない。読みたいから読むだけなのであった。本が好きだから読むだけなのであった。だから「この知識を身につけておかなきゃ」的な読書はハッキリした目的があるので、とてもつまらないのであった。テキスト・クリティークを生業としている研究家ならまだしも、私のようなパンピー(懐かしい言葉!)は目的で読んじゃダメなのだ。
それにしても「読書」に関する本を読むというのはメタ読書とでもいうのだろうか。一瞬自分の立ち位置が眩み、とても興味深い行為だ。