批評とは何か。また分からなくなってきたよ。

そして23日はですね。土曜日だったので配偶者が休日であった。二人とも前日の就寝時間が3時半とかだったため、起きたら昼。もうウチは休日は思い切りダラダラする。配偶者なんか一日中パジャマで過ごし、一歩も外に出ないという休日もある。これはこれで正しい休日である。休日とはすなわち休む日なのである。
しかし今日は自転車で出かけた。押上まで自転車で散歩をし、そこから電車に乗って配偶者の友人(やまのきょうだい)の展示会をやってる青砥のかつしかシンフォニーヒルズへ。さまざまな楽しげなオブジェや絵を見て、かつしかを堪能し、押上からまた自転車で。時間も時間なのでビールでも呑もうやということになり、浅草の「鈴芳」という居酒屋に入る。ちょっと寒かったが外の椅子とテーブルで二人でビールを呑みつまみを堪能しているとなんとそこに、なぎら健壱氏登場! ここのお店の常連さんらしく、マスターと親しげに話しておられた。いいですね、なぎらさん。ひそかにファンです。

そんで24日はですね。これまた起きたら昼。本日はふたりで新宿に出かける。別にこれといって用事はないのだが。ONJOの発売日なのでディスクユニオン新宿店とタワレコ新宿店を覗いてくる。タワレコ新宿店の展示は圧倒的であった。9Fにドーンと3箇所にパネル展示で目立つ目立つ。メンバーの写真や関連CD(オーネットやミンガス、ドルフィーなどなど)が大きく展示され、気迫が伝わってくる。POPも気合い入りまくりで本当に嬉しくなった。私が店内滞在中、少なくとも一人のお客さんが購入に踏み切ったのを目撃。その場で「ありがとうございました!!」とお礼を言いたかったが、やめといた。でも、心の中では言ってました。今日タワレコ新宿店でONJOお買い上げの青年、心して聴いてくれ!!

あと、ちょっと気になってること。ミュージックマガジンの今月号にONJOやら菊地成孔やらのレビューが出ているが、すごくひっかかる。まず菊地成孔のアルバム・ピックアップで、アストル・ピアソラガトー・バルビエリを引き合いに出し、菊地とは全く関係ないところで「本誌では『大仰なムードだけで内実に乏しく、白人インテリがほめる』音楽の代名詞」と批評する。本誌とは具体的に誰なのだろう。マガジンの編集部員全てがそう思っているのだろうか。その実体が見えない。それから「ムード先行という要素まで含めてピアソラとガトバルを持ってきたのかという気にもさせる。」とある。これは菊地に対して非常に失礼な物言いである。まあそういう「気にさせられた」のは筆者の心境として事実だからしょうがないが、いち音楽家に対して発せられるコトバでは断じてない。ああそうか。音楽家に対してではなく読者に対して言っているのか。それなら音楽家に対して失礼であってもいいということだな。と勝手に納得するしかない。私はこういう言い方は絶対にできない。まぁただそれだけのことだが。
またアルバムレビューではガトー似のサックスに喜ぶ者を馬鹿にし、カヒミとのデュオに喜ぶ者も馬鹿にし、購入する者をも馬鹿にしている最悪の文章。こちらは音楽家批判ではなく菊地のファン批判のようなレビューだ。
またその隣のONJOでは「本筋の音響工作に必然性が感じられない」とあるが、これは完全にこの音楽を誤解しているとしか思えない。音響工作に必然性ってあるんですか? 松尾さん。でもこれは逆に嬉しかったりもする。誤解されてナンボのもんを作ってるわけだからね、われわれは。おっとこれも曖昧だな。われわれというのはONJOの制作に関わった全ての人々だ。むしろこのようなレビューがあっても良いと思った。そう、私だって大友の意図を100%理解しているわけじゃないのだから。関わったミュージシャンだってそうだ。100%大友の意図を理解してる人なんかいやしない。そこには無数の誤解があるはずだ。無数の誤解があって(もちろん無数の理解もあって)生まれた音楽だ。したがってこういったレビューは歓迎すべきレビューだと思っているのだ、私は。つまり私が考えていることと松尾さんが「音響」について考えていることは全く正反対のことだ、ということだ。その差異が明らかになったことは歓迎すべきことだと私は思う。ただ菊地成孔のレビューに関しては本当にいかがなものかとは思う。
もうそんなことどーでもいいや。と元気づけてくれるのが浜田真理子さんの『ロマンス』だ。も〜〜良すぎて良すぎて。何故これほどまでに浜田さんのうたは生命力が溢れているのだろうか。うたがすっくと立っている。私はこういう音楽に本当に勇気づけられるし、何より浜田さん自身に何の気負いも感じられない(ライブだから実際には相当の気負いだと思う。私がそれを感じられない鈍感なだけ。)ところがいい。ものすごくいい。使い古されたコトバだけど自然体なのだ。こういう音楽こそ、ながら聴きはできないなぁとつくづく思う。浜田さんのうたを聴いていると、批評なんかどうだっていいや、とすら感じる。でも何故このうたがオレの心に響くのか、を自分なりに解析したいんですね。それが批評だとオレは今少なくとも思ってるんですけどね。解析できたところで、それがどうしたと言われたらそれまでなんですが。つまりオレの中の批評というのは常に内向き。リフレクシオンなわけです。批評とは何なのだろうか。私はまだ分かっちゃいません。