梅津和時、バスクラ・スピリッツを吹き込む。

2時より梅津和時氏レコーディング@吉祥寺GOKサウンド。GOK近藤さんにはオープンリールのデッキ(30kgくらいあるのか?)を、松原幸子にはCD50枚分を持って行かなきゃいけないのにこのタイミングの悪 いあいにくの雨。え〜い、ぐちゃぐちゃ考えててもしょーがないと決心して、デッキとCD50枚分を雨に濡れないよう東京都指定ゴミ袋で防水処理をしてカートで持ってゆく。最近の電車はエレベータがあってとても便利だが、ホームと電車の間は「どっこいしょ」っとカートを持ち上げなきゃ行けない。乗客の皆さんにはご迷惑をおかけしたが、それでもみんな冷たすぎやしないか? オレが荷物を持ち上げて電車から降りようとしているときにオレに身体をぶつけながら乗り込んできた若いサラリーマン、お前こんどどこぞで出会ったら鼻の穴に指突っ込んでそのまま空中に持ち上げて一回転させてあたまから地上に落としてやっからな覚えとけ! 逆に若いおねーちゃんたちはとても優しくて、ちゃんと待っててくれたり、乗り込むときには「お先にどうぞ」と言ってくれたりする。そういうおねーちゃんはとても美人に見えたりするわけですよ。
というわけでGOKに到着してしばらくうだうだしていると青木タイセーくんが登場。芳垣さんの新しいバンド(Bobby4)のリハをGOKでやるらしい。「え〜、梅津さんのバス・クラのソロなの? 聴きたいなぁ。オレ絶対一枚買わせていただきます。」と凄〜く嬉しい一言。このタイセーくんの一言で私の本日のグルーヴ感は決定された。その後芳垣さんも津上研太もドア越しにではあったがエールを送ってくれたりして、もうノリノリ。
レコーディングは非常〜に順調に進行し、アイヌ民謡、クレズマー、アイリッシュ民謡、ジャズ・スタンダーズ、梅津さんのオリジナル曲などなどが、多様な即興の切り口で曲が奏でられてゆく。しかし「非常〜に順調に」とはいえ、バスクラは予想以上に体力を使う楽器なので、私から見ると「非常〜に順調に」なのだが梅津さんにとっては全神経・全体力を一曲ごとに駆使しているのでさすがに消耗も激しい。後で訊くと「4曲目終わった辺りで脳に酸素がなくなってたよ。」と言ってた。途中からこまっちゃクレズマーの多田葉子さんもスタジオに来てくれて、色々と意見も言ってくれる。
夕食中にちょっと抜け出して吉祥寺駅へさっちゃんにCD50枚を渡しにいって、その間、ONJOのジャケットの件で印刷会社と佐々木暁さんとケータイでやりとり。ONJOジャケット、3日前くらいからモメております。こちらのデザインと印刷所の仕事のポシビリティとの間で。佐々木暁さんと印刷会社の営業の斎藤さんの間を取り持つのはオレで、ここで神経すり減らしてちゃ面白くない。オレの意見は「まぁなんとかなる」。こういうのを一人仕事だと楽しめる余裕も出来たわけで(笑)。
レコーディング後半は比較的短めの曲を。それにしてもバスクラの音ってホントに好きだ。いかにも木管楽器、という暖かさが感じられるし、高音部はきらめいている。指使いのカタカタっていう音も凄く好き。梅津さんが選んでくれた曲は私好みのフォーク・ソングが多く、また梅津さんのオリジナルのバラードもすご〜くいい。私が梅津さんにリクエストしたのはドクトル梅津バンド時代の「1970」という曲で、この曲めちゃめちゃ好きなんですよ。1970年は思いつくだけでも、万博・三島由紀夫自決・アイラーやジミヘンの死・ビートルズ解散、と世の中の変節・激動の年だ。梅津さんがバスクラ一本で演奏する「1970」を聴きながら一人感慨に耽っていた。オレはその年、10歳のガキだったが、まだまだ世の中は牧歌的であった。
全てのレコーディングが終了したのはだいたい10時半。梅津さんのバスクラ・スピリッツを余すところなく吹き込んだ。すごくいいアルバムが出来そうである。11時頃から梅津さんと多田さんとオレの3人でちょっとした打ち上げ。色々な話題で盛り上がったが、今日のまとめ「牧歌的な時代は終わった。」
6月に発売できればいいなあと思っております。