今日は寒かったけど、オレの日記はもっと寒い。

今日は東京、寒かった。すごく寒かった。北風も吹いてた。なんというか東京ひとりぼっちというか、東京砂漠というか、都会のジャングルというか、なんかそういう寒さであった。私は日本で一番寒いと言われる北海道旭川市出身だが、東京の今日の寒さはけっこう身にしみた。身にしみる寒さなのだ、東京はいつも。
北海道の冬は、外は寒い、なんていう問題じゃなく、痛いとか、苦しいとか、そういう感じなのだが、家の中は暑いくらいで、北海道人は冬、家の中でアロハを着て過ごすのが定番である。家の中で「あぁ、暑いなぁ」なんて言いながらアイスを食ったりする最高の贅沢人なのだが、東京は外も家の中も寒い。たまらんですな。それに気付いたのは東京に出てきた年の冬のことであった。
東京に受験に来たときは2月であったと記憶するが、小学生が半ズボンを穿いて走り回っているのには衝撃を受けた。北海道だと確実にシモヤケになり、皮膚が腐ってしまうだろう。北海道はやっぱり戦後すぐにロシア領になってしまっていれば良かったのだ。ロシア領になれなかった北海道は日本にもなりきれていないような気もするし、いっそ国家として独立した方が良いと真剣に思っている。(前にも日記に書いたかな?)そしたら北海道に移住してオレは日本に高くCDを輸出するよ。アイヌの人たちと共同して立派な独立国家にしてさ。え〜お前、日本人なの? とかいって差別するの。日本人はカネもってんだろ、じゃあ北海道にカネ落としてけよ〜、とか言って。
戦後生まれのわれわれはズタズタになった国家の状態を経験していないし、戦中派もそれは同様だと思っている。ズタズタになった日本は今生きている誰もが経験していないのだ。もちろん私もズタズタになった状態を経験していない。そこが私の弱みでもある。が、一度国家がそういう状態になった時を経験してみたい。その時、本来生きるためのコミュニケイションや組織化が生まれるのではないか。刹那のアナーキズム。犯罪や暴行が荒れ狂う殺伐とした世界。「ロックのマチズモは嫌いだ。」などとオレが平気で言えるのは、そんなことを言ってられないリアリティが全くないからだ。
などと書いていると、いままで団塊世代やそれ以前の戦中派やらにコンプレックスを抱いていたオレはどこに行ったのだという自分に対する疑問も湧いてくる。スタジオヴォイスの大谷くんのインタビューでオレが大谷くんに「オレ世代論好きなんだよな。」というと大谷くんに「それはオッサンくさい。」と言われたのが、ちょっと私のハートにちくりときたのが尾を引いてるのかも知れない。ありがたいよ、大谷くんの一言。(でもこの部分はアーティクルにはなっておりません。お互いのパブ・イメもあるしね。)
ちょっと酔っぱらっております沼田 orderでした。