つけ麺に関して。

取引先であるところの仙台store15novの青山さんがブログでつけ麺に関して疑問を呈していたが、私は最近つけ麺に対して積極的である。付近に旨いつけ麺屋が数件あるので結構な頻度で食べにいく。私のなかでは、つけ麺はけっこうショックだった。ラーメンは熱くなければいけないという私の常識を覆した。ぬるくても旨い、いやむしろぬるい方がかえって旨いかも知れないなどという論理の移行が、北海道旭川ラーメン育ちの私の自己否定/総括を促した。
つけ麺はラーメンの味わいと、もり蕎麦を食べる動作の合体と言えるだろう。両方好きな私にとってはこの上なく「食する行為」を満足させてくれるものであるのだ。麺及び汁の温度に関して言うならば、「ぬるい」という一般的にネガティブに使用される言葉がポジティブに使用されることの典型的な変換である。一例を挙げるならば、缶コーヒー好きの私にとって、「熱〜い」「冷た〜い」の間の「ぬる〜い」というのが、何故自動販売機にないのか常々疑問を持っていたし、今でもそうである。特に今のような昼・夜の寒暖の差が大きい季節には「熱い」も「冷たい」も、内臓にとって優しくあるわけがない。「熱い」と「冷たい」しかない缶コーヒー自動販売機における二元化は、人々を一時的には満足させるものの、缶コーヒーの深い味わいを訴求するにはやはり不足感が拭えないし、とりわけ一部の熱狂的缶コーヒー・ファンのニーズに応えているとは言いがたいであろう。
かように、飲食の温度に関しては適度に「ぬるい」が存在していてもいいはずなのであり、つけ麺はそこに上手にニッチとして入り込んだと言うことも可能ではないだろうか。店によってはつけ汁を再度暖めますというサービスもあり、また麺の温度もこちらの要求に応えてくれるお店もある。たいていの場合はつけ汁は濃いため、麺をどれだけ汁につけるかという、食する者自らのコントロールが可能であり、味の濃さ、温度の調整はその一点により、決定される。したがって食する者の判断力、箸の動き、タイミング、等々総合的にフィジカル/メンタルな能力が問われるのである。
麺を食べ終えたら、店員に「割り汁(もしくはスープ)ください」と頼む。以前入ったチェーン店のつけ麺屋のバイトのくそガキはこれを知らずに店長だか誰かに問い合わせに行き「そういったものは出してません」と言ってのけた。ケリのひとつでも入れてやろうとも思ったが、まぁ愛情のかけらもないチェーン店というのはそういうものである。つけ麺を看板に出しているラーメン屋にはたいていそれはある。蕎麦で言うところの「蕎麦湯」みたいなもんで、それで濃い汁を割って、最後の肉の小さな破片まですすり込むのである。これがまた絶妙に旨い。よく汁を残す者を見かけるが、あれも良くない。汁は最後まですするべきものなのである。こちらもコントロールが要求されることは言うまでもない。割り汁はたいていおかわりも可能なので空腹時などは最後に汁を非常に薄くしてまでも飲んだりしたくなるが胃がたっぷんたっぷんするので、適度な薄さまでで止めておいた方が無難だろう。
つけ麺はしばらくは存在していてほしいと願うばかりである。一時の「油麺」のように、一瞬にしてブームが去ってしまわないでいただきたいものである。