外回り、というか。

早起きして半蔵門FM東京へ。MusicBirdでホストのジャズ番組を持っている山本隆に、ゲストとして誘われて収録してきました。でもかけたのは梅津演歌とか今井和雄ばっかし。ジャズじゃないがな。いたたまれなくなり、山本隆がポール・ブレイの「バークス・ワークス」("Solemn Meditation"より)をかけてくれました。山本隆、ナイス・フォロー!
一度家に戻るのも中途半端な時間で、そのまま横浜へ。今井和雄トリオ@エアジン。すげ〜時間が空いてしまって、ついついディスクユニオンに行って中古CDで散在。店長・篠崎とお茶を飲みつつ時間を潰したりぶらぶらしたりして、ようやくエアジンの開店時間。
8時過ぎから始まった今井和雄トリオ。お客さんの熱気もあって、非常にいいライブとなりました。アンコールがかかったのは多分初めてで、それほど良い演奏であったということでしょう。今井トリオは、ギターとノイズのバランスが音楽的にまとまってしまうと今井さんの意図するところではなくなるし、極端にギターとノイズのバランスが崩れると、じゃあ何故3人のアンサンブルなのかという、いわば二律背反を内包している、きわめて綱渡り的なきわどい音楽だ。そのバランスがエアジンでは実にうまくいったということになりましょうか。
とはいえ、また意味の分からないスーツのおっさん二人が途中で入ってきて、ぐちゃぐちゃしゃべりまくったり笑ったり、しまいには二人でケータイを手にして、一人は演奏中にケータイでしゃべりまくる始末(途中でさすがに店外に出ましたが)。静かな演奏のシーンでは静かにするので注意するにもなかなかタイミングがつかめず、結局1、2曲の演奏でそそくさと帰ってしまったが、非常に不愉快だった。
ジャズのお店って本当に不幸だな、と思うしジャズのイメージも本当に不幸だなと思う。ジャズっていつから食事や酒のBGMに成り下がって、クソッタレなセレブリティの象徴になって、癒し系にすらなってしまったのか。音楽とは全く関係のないところでジャズのイメージがガンガン増幅されて、そういうもんだというのがもはや常識になっちゃってる。私の読みではその常識が常識として固定化され始めたのは70年代後半から80年代初頭である。より詳しく言うと、その頃に「ジャズ」という言葉が二分化された。音楽としてのジャズと、装置としてのジャズに。そして後者が「常識」化されたということだ。
先日の梅津さんのライブの事件もそうだったし、今回の事件もそうだ。なんか、民度の低さというか、スーツなサラリーマンのストレスというか、(あえて言うと)文化レベルの低さというか、メディアの押し付けるイメージを疑おうともしないノータリンというか、まあそういう人々はオレの敵であります。日本全国民のほとんどを敵に回していることになりますが。
ジャズという音楽は好きだけど、ジャズにまつわるこういったメンドくさいことがとにかく嫌いなんだ。