ONJO@YCAM。

22日(金)〜24日(日)は山口へ大友良英の展示とライブを観に行っていた。YCAM山口情報芸術センター)は、ものすごい広さでとにかく圧倒された。東京ではあり得ない広さだ。こういった施設を積極的に面白い企画に使うのは二つの意味でとても重要なことだ。まずひとつは「東京VS地方」という当たり前になってしまった構図を少しずつぶち壊すこと。もうひとつは税金を使って一般市民にもっともっとアート(的なこと)を解放して、カネではなく感性(的なこと)が豊かになること。
そもそも「アート」というそのスノッブ感満点で排他的な言い方が嫌いなのだけれど(適切な日本語があるのにカタカナにして本来の意味を隠蔽したりするので意味が歪んで流通する。意図的なこともあるし意図されない馬鹿でナイーブなものもある。これはまた別の機会に。)YCAMで行われた展示と音は全くそんなことを感じさせなかった。むしろ少しでも興味を持った人なら誰でも歓迎!的なオープンな雰囲気で、居心地がとても良かった。
詳しく書くとネタバレになるのであまり書かないが、高い交通費をかけてでも、山口まで行って展示を見てきたら、高い交通費のことなんかどうでも良くなると思えるくらい、楽しい。とだけ書いておこう。10月までやっているし、みなさんそのくらいのカネの余裕もあるでしょ? オレは余裕ないんだよ。でも行ってきたよ。(と同じようなことを昨日岩井主税くんに電話で話しました。)
ONJOの演奏は23日の一日のみ。いつものONJOに加え飴屋法水さん(物音)、宇野萬さん(踊り)と、会場の上方にバンドネオンの小川さんと一楽さん(パーカッション)が加わるという人員。更に上方からつり下げられたいくつかのスピーカからはYCAN伊藤さんのコントロールによる様々なサンプリング音。飴屋さんを含めてのメンバーは会場を楕円形に囲み、私は初めてその円の中でONJOを聴いた(いままでのこのスタイルのは常に円の外側で聴いていたのだった)。
ONJOのライブは過去、(たぶん国内で行われたものは)全て(で本当に間違いないかな?)観ているが、このライブが一番衝撃的だった。というか「全く別の出来事」だったのだ。それは私が円の真ん中で聴いたということがとても大きく作用している。
常識的にいま「音楽を聴く」というのは例えばライブに行ってステージに集中して左右のPAから出てくる音を聴くとか、家でCDを聴く時は二つのスピーカーの真ん中で聴くとか、私の中ではそういうことになっているのだが、この楕円形のONJOはシステムからしてその常識を完全に覆すものであり、さらに演奏者は別の演奏者の横にあるスピーカーから主音が出るという実に混乱きわまりないシステム。大蔵くんの横のスピーカ(だと思った)から出た音は、大蔵くんが細かいタンギングで出してる音かな、と思って見ていたら大蔵くんは全く別の演奏をしていて、実はそれは飴屋さんの物音だった。その物音を出している場面は見られなかった。
音楽がある中心点で鳴っていてそれを聴く、というのとは全く別モノで、むしろ中心点を意図的にいろんな場所に拡散させている、というか、中心点を意図的になくしているというか。とにかく従来の音楽を聴く体験とは全く別の体験をしてしまった。さらには上からつられたいくつかのスピーカーからもサンプリングされた音が出てきて(ささやき声が上方から聴こえた時はちょっとビビった。これはリハの時と展示の時ね。)拡散加減に更に拍車をかける。
唯一集中的に中心点となったのは宇野萬さんの踊りだった。ONJO初の踊りとの共演(なのではないかな?)。宇野さんが出てきたときに観客の「視点」はどうしてもそちらに集中する。けれども耳は音に集中できない。この分裂の面白さ。音の中心点を設定しないのに宇野さん登場シーンのみ視覚の中心点が出来る。数多ある音楽と踊りの共演とは一線を画すものであるなーと思わずぽんと膝を叩いた。
で、私はここで考えるのだが、これをCDにするのはどうしたらいいのだ?と。これは多分CDで再現できないっす。5.1chとかホロフォニックとかバイノーラルとかいろいろあるけれど、なんか、これをそのままCDにしても面白くないような気がするのだ。そもそも5.1chだって、そこそこカネを持ってる人の満足ヴァーチャルシステムな訳で、そういう人の満足のためだけにCDを出してもしょーがないと思うのだ。大友良英の今現在の興味と現状の一般家庭のサウンドシステムのズレがあまりにも大きい。どこが落としどころなのだ? これはもっともっと大友くんと相談し、オレ自身も考えようと思っている。ONJOの次のCDが出せるのはいつの日のことか...。