音響系。

音響系。ってなに? 私は分かりません。本当に分かりません。どの人が音響系に属する人なのか、誰かハッキリ教えていただきたい。コトバで世界を文節するのは一向に構わないんだけど、その言葉の定義が曖昧でありかつ、その言葉があたかも常識として流通する事態が、私には理解できない。「音響系」は確実なパーセンテージで、商売上経済上にメリットがあるコトバとして分節されたコトバだ。「系」というその一字から、曖昧さを自ら謳っているイヤラシさが感じられる。全く嫌いなコトバだ。


そんなことを再び考えた三日間であった。19日(土)、20日(日)、21日(月)。Ftarri Festival @ 六本木スーパーデラックス二日間。ONJO @ 浅草アサヒアートスクエア。三日ともにスタッフとして関わり(たいしたことはしてないけど)、全ての演奏を聴いた。途中で眠ったこともあったさ。演奏を聴くのに集中できないこともあったさ。でもこの三日間の総括として「音響系」というコトバが音楽批評の用語としては全く機能していないんだな、と実感できたことだけでも、非常に私にとっては有意義であったのだ。


Ftarri Fesの個人的な白眉はSachiko Mマーティン・ブランドルマイヤーのデュオ、今井和雄トリオ(いずれも初日)かな。この二組はダントツで素晴らしかった。決して「音響」のみが素晴らしいのではないのであった。その演奏者のスキルと、一音一音の存在感が私のハートをえぐったのだった。即興演奏の出来不出来に「音響」のみを抽出しようとする試みも分からないではないが、私のハートをえぐったこの二組に、実はジャズの伝統的な即興のスキルを容易に聴き取ることが出来るではないか。やっぱり「音響系」ってウソくさいな、と思った。
つまらない演奏も、あった。でも玉石混淆という感じで、全体的には大変面白かった。鈴木美幸のキャラがうまく反映されて出演者もスタッフも観客も気持ち良く終わることが出来たので、大成功だったと言えるだろう。ただ楽屋裏を知っている身としては、こんないいフェスをやって鈴木さんに儲けがないのは不満。それはもちろん彼自身の責任ではあるのだけれど、多分少なくともマイナスを出さない方法(プラマイゼロでもOKだ)はあるはずだ。いろいろと考えさせられもしました。


ONJOのときのファーストセットは大友良英Sachiko Mアクセル・ドゥナーマーティン・ブランドルマイヤーのカルテットだったが、多分意図的に4人が離れてセッティングされた位置での演奏だったが、このセッティングが吉と出たのか凶と出たのかは、私には分からない。多少退屈した。ただ、まだ演奏が終了していない時に拍手を始めた観客がいたために半ば強制的に演奏を終了させられたのは非常に残念だった。アクセルは確実に未だ微音でペットのマウスピースにアプローチしていたし、4人とも終了の意識はなかっただろう。まぁこういうこともあるのだな。


ONJOの演奏は、いよいよスゴいことになってきているな、と思った。アンコールを除く約45分のぶっ続けの演奏がとても短く感じられた。え?もう45分も経過してるの?という感じ。それほど濃密な即興。濃密というのは各人の音が各々主張を持ちつつ中心の軸はまったくブレていない感じというか。全体の構成に必要な音以外は出ていない感じというか。これはファーストセットとは逆に、この楕円形のセッティングが大成功した証だと思う。でもこれをCDにするのは難しいな。5.1チャンネルというのもあるけど、なにかあれもオレの中ではいまだに胡散臭い感が否めないのだ。どうせやるならもっと立体的に、上下左右前後から聴こえる方がいい。ザッカレリとかバイノーラルとかありましたね、そう言えば。これぞ「音響系」なのではないか。早く廃れてほしい「音響系」というコトバ。