近況。

ぼーっとしてたら風邪ひきました。緊張感のない生活は風邪を招きますなー。今回の風邪はこないだの風邪の症状(下痢腹痛系)とは違って、くしゃみ、鼻水、鼻づまり。しまいにゃくしゃみを我慢して目から大量の液体放出。つまり涙ですな。一瞬「もしかして鼻炎? 鼻炎て突然来ると言うからなー。鼻炎だったらヤだなー。毎年春に大友良英の、鼻炎に苦悩している姿を見てるからなー、ヤだなー。」と思ったのですが、(1)外に出るとかえってくしゃみは止む。(2)ちょっと熱っぽく、ちょっと咳も出る。(3)喉がちょっとヒリヒリする。以上の理由により「軽い風邪」と判断いたしました。自分で。病院には行かなんだ。すぐ治るであろうという私の決断であります。そしてその風邪はすぐに治った。自分の診断が一番信頼できる。
そもそもアレルギー性鼻炎というのは、北海道時代、つまり高校生〜浪人時代に経験しているのであって、その辛さたるやまぁ経験済なのである。その時は杉の花粉のアレルギーじゃなくて、多分激しい温度変化によるアレルギーという自己診断である。推測するに多少自律神経失調気味であろうという、これもまた自己診断なのである。毎年6月に必ずそれになっていたのであった。一晩にティッシュ一箱使用。全く辛かった。6月の北海道は梅雨もなく、一年で一番気持ちの良い気候なのであって、その時にかように辛い思いをするのは快楽優先主義者の私のとってはまさに堪えがたき苦痛なのであった。まぁその経験もあるので、今回はアレルギー性鼻炎ではなかろう、と。私は正しかった。


さてところで、ここのところ完全な活字中毒症状を来しているのであるが、読書好きの方々にはお分かりいただけるかとは存じますが、同時進行で3〜4冊読むわけです。ここのところは評論や哲学関連を全く読んでおらず、ひたすら小説です。まぁ貧乏暇十分ありの状態で、サラリーマンの方々よりは時間に余裕があるので、好きな時間に読めるわけであります。
しかし突然、なにか虚しいような気分になってきた。そんなことをしていていいのか、もっと経済的な活動をすべきではないのか、一冊の本を読むことに何の意味があるのか、本を読むならもっと自分の糧になるような、知識の集積になるような本を読んだ方がいいのではないか。そんな思いでオレの頭の中は錯綜し始めた。本を読むことや音楽を聴くことは人生に無駄なことであると一時は喝破した私ではあるが、なんか無駄なことばかりやっている自分にちょっと後ろめたさを感じ始めたというか、論理上はそうだけど感情的にはちょっとまた色々あるんだよ、理論と実践は往々にして噛み合ないもんなんだよ、みたいな複雑な心境でなんとも文字にし難い。
そこで、この本を読むことは自分にとって無駄ではないと自分で思える本を読むことに決定したのだ。そのためには権威に頼るしかない。これに関しては権威主義を導入することにした。これは3日前に自分の中で決定した。強い意志において決定した。
それは「泉鏡花賞受賞の全作品を読む」ことだ。鏡花はとても好きなので、そう決めた。さてネットで鏡花賞受賞全作品を調べてみると、案外メジャーどころから、全く知らない作家まで、ほとんどを読んでいない。これは楽しいではないか。で、読むだけなら図書館とか、いくらでも出来るので、ある程度の障害と若干のコレクター心理の充実を自分で設定しようと思った。それは以下である。
(1)鏡花賞受賞の全作品の単行本を全て初版で購入・読了する。
(2)文庫で読んだものも全て単行本初版で購入・再読。
(3)ネット及び目録では購入しない。古本屋回りで購入。
(4)古本屋回りをする時受賞作品一覧表のメモなどを持参しない。全て記憶頼りとする。
以上が自分で決めたルールだ。これは最近読んだ喜国雅彦『古本探偵の回想』による影響が大きい。あれを読んで以来、眠っていた古本屋回り欲望がムクムクと目覚め始めたのであった。もちろん彼ほどマニアックでは全くないのだが、思えば最近の古本の購入は自らの努力を要していなかった。ネットで検索して簡単にそこから購入していた。もちろん古本屋さんからきちんと梱包・発送され、到着した時はやはりわくわくするし、嬉しい。しかし何かが足りない、とうすうすは感じていたのだった。こんなことわざわざ発表することもないではないかと自分でも思うし、本当はヒミツにしておきたかったのだが、今日たまたま神保町で大谷能生にバッタリ出会い、立ち話をしている時についついオレはそのことを大谷くんに打ち明けてしまったのだった。打ち明けてしまった以上、ヒミツは破られた。ではいっそのこと最近ネタ切れ気味のブログに書いてしまおうと。そういうわけである。
さて鏡花賞受賞作品は2007年度までで全51作品(特別賞を含む)。中でも難関はたぶん種村季弘のネオ・ラビリントス全8巻かな。「難関」というのはカネの意味でも読了するという意味でも。その他はプレミアものなどほとんどないし、マメに探せば比較的簡単に入手できるものばかりだろう。あまりマニアックに過ぎず、たいへんお気楽である。全作品のうち、読了済は年代順に、中井英夫『悪夢の骨牌』、筒井康隆虚人たち』、倉橋由美子『アマノン国往還記』、島田雅彦『彼岸先生』、野坂昭如『文壇』の5作品だけ。読了率10%以下。いかに本を読んでいないかを暴露するようで恥ずかしいし、しかも全く初めて聞く作家の名前がけっこうある。あー情けない。
まぁ本年中に全て入手・読了できたらいいな程度の、あまりアツくならずに気楽に楽しもうと思っております。あ、「沼田さん、■作家▲の『●タイトル★』はK宮山書店にありましたよ」などという情報は決して私にしてくれるな。そりゃオレの楽しみを奪うルール違反ね。


さて宇多田ヒカルの新譜であるが、いいですね。発売日に購入し、ここのところヘビーローテーションである。うた、うまいね、彼女は。歌詞の内容などどうでもいいけど、声が好きだ。ステキな倍音を豊かに含んでいるのだろうな。ちょっとかすれ気味な高音部といい、低音に至ってはまさに彼女のお母さんの藤圭子を彷彿とさせ、とても嬉しくなる。