今日の文章は一読して損はない。

最近アマゾンの様々な、いわゆるレビュアーの評を見ててやたら気になる文句がある。半ば定番のようになっているものだが、たとえば本なら「一読して損はない」とかCDなら「一聴の価値あり」とか、そういったものだ。つまり評者はそういったものに対して「損か得か」もしくは「価値があるかないか」ということを主張したいわけだ。「客観的な」見方として音楽を聴くこととか本を読むことに対して他人に伝えるときに共有するものだと考えているわけだ。
とんでもない。
オレは音楽を聴いたり本を読んだりすることに価値なんか見いださないし損得勘定などさらさらない。もちろんCDを買ってブックレットがやたら充実していたり、本を買って背表紙がカッコ良かったりすると「あー買ってよかった」と思うことは否定しない。しかしそれと本や音楽の中身は全く別の話。ただ好きだから音楽を聴く、本を読む。それだけの話だ。それを赤の他人に伝えようとする時に価値があるかないか、損か得かを内容の判断基準にするとは何ごとか。
ハッキリ言ってこの定番の文句は売り手側の販売促進文句なのだ。だから売り手側がたくさん売ろうとしてこの文句を使うことはよく理解できる。しかしいわゆるフツーの読者なりリスナーが、なんでそんなことを言わなければならないのか皆目見当がつきかねる。アフィリエイトとかそういう絡みなんですかね? それだけとは思えない。言論上の、何か根深い、貧困な状況を感じざるを得ない。私もフツーの読者でありリスナーである(これはちょっと違うか?)ので、自分が良いと思ったものは人に勧めたくなる。でもなー、それを人に勧めるとき損得を言ったり価値のあるなしは言わんよなー。音楽でも本でも「価値がある」という幻想を売っていかなきゃ成立しないのは分かるけど、その「価値」とやらは一生かかっても分からないことだ、と言うことはある意味身も蓋もないことだけれど、それは真理なのだ。共通で分かるのは経済的な「価値」のみだ(初版の古本に何万円とかオリジナルのジャズのLPに何万円とか)。
音楽を聴いたり本を読んだりする時間は、人生にとって非常に無駄な時間であって欲しいと思う。その無駄な時間が最近いかに減ってきているか(自戒を含め)。無駄な時間を過ごさないために「一聴の価値あり」と「一読して損はない」は有効に機能するのだろう。それを他人に促進するのだとしたら、少なくともオレに対してだけはそんなこと言わないでください。