清水俊彦氏。合掌。

数年前から体調を悪くされているのは何人かの知り合いにきいて知ってはいたけれど、訃報を聞くのはやはりショックだ。最後に清水さんをお見かけしたのは新宿ピットインのONJOの時だったかな? キャロサンプ野田と月光茶房の原田さんが本当に丁寧に清水さんのケアをしていたので、私も少しだけ手伝わせてもらった。体調がかなりすぐれていない(ように見えた)にも関わらずピットインの席でビールを呑んでタバコを吸われて、笑顔で音楽を聴いておられた。DIWの時から何度もライブハウスでお見かけしたので「いつもお世話になっています。DIWの沼田です。」と何度ご挨拶申し上げたことか。清水さん、なかなかオレの顔を覚えてくれなかったけれど、doubtmusicを始めてからようやく顔を覚えていただけたようで、ご挨拶すると「おー沼田くんか。CD届いたよ、ありがとう。」と言われたのが本当にとても嬉しかった。なんせ、私はユニオンでジャズを担当し始めた頃に清水さんの評論を何度も何度も読んでジャズを分かろうとしていたのだ。その清水先生に顔を覚えられただけでもけっこう浮き足立ってしまった。『ジャズ・オルタナティヴ』『ジャズ・アヴァンギャルド』(以上青土社)『ジャズ・ノート』(晶文社)は今でも本棚の、すぐ手の届くところにおいてある。ものすごく感化されている。
清水さんの批評の鋭さは音楽のテクスチャーの見事な分析と、それに対する的確な言葉だ。ジャズ評論にありがちなクリシェの一切をそぎ落としたような精悍な感覚と言葉。論理的でありつつ時折ハッとさせられるような詩的な言葉を挿入する。そのバランス感覚が絶妙、というか実に私のツボなのだ。こればかりは真似しようとしても誰にも真似できないであろう清水さん独特のレトリックだ。ずいぶん感心させられた。と同時に批評というのはこういうものなのであろうなというぼんやりとした感覚を清水さんの著作で植え付けられた。音楽の聴き方、ということに関しては(たとえ私が清水さんの文章を誤解しているにせよ)全く開眼させられた。
その文章もさることながら、ライブの現場に足繁く通われていたし、特にピットインではミュージシャンやピットインのスタッフや私のような関連業務の者までも、本当に楽しく清水さんと会話していたし、みんな清水さんを愛していたし、愛されていた。
今日何人かの方々と電話でやり取りしたが、やはりやるせない気持ちである。
ご冥福をお祈りいたします。