広島一泊二日。観光なし。

5月12日(土)、広島で行われた大友良英「2台のエレクトリックギターとアンプによるモジュレーション」のライブに同伴。録音のためです。朝7時50分起床。新幹線にて。オリエンタル・ホテルのチャペルは普段は結婚式場に使用されている、かなり響きの良い場所でナチュラルなリバーブがかなりでかい。リハ時間に、押さえで約30分ほどの録音。録音中ずっと爆音でヘッドホーンでモニタしていたので、耳がイカレる。高音部が聞こえなくなるのですね。実体験としてわかった。しばしの休憩で耳を休ませつつ夕食。
だいぶ回復後、いよいよファースト・セット「2台のエレクトリックギターとアンプによるモジュレーション」がスタート。非常に興味深い聞こえ方である。以前にピットインで同様のコンサートを見たときに感想を書いたと思うが、その時とも違う体験が新たにできた。ふたつのアンプから音は鳴り続けているのに突然左側だけ聞こえなくなる。音像が後ろにいる錯覚に陥ったりする。もっとも音像が後ろにいるというのは錯覚ではなく、音響学的には何か言い方があるのだろうけれども。途中「気分が悪い」(本当に体調が悪くなった人と、「こんな音楽聴かせやがって」と精神的に気分が悪くなった人両方含む)と言って会場を出てゆく観客が数人。後日ホテルの担当の方に聞くと、ホテル側が好意で招待した方も含むということであったということだ。いかんですよ、そりゃ、いきなり(笑)。それにしても50人観客がいたらその50の音の聴こえ方はひとりひとり違う、そういう音楽でありそういう体験だ。音のシークエンスはある程度共有できているのだが、時間を縦軸で切り取った時の体験が50通りあるということなのである。音楽を聴くのは個人の記憶が音によって呼び起こされる脳内の体験だ、という議論があるが、仮にそれが正しいとしても、この場合はその議論とはまた別のことが起こっているのである。かなり興味深い音の体験だ。
セカンドセットはアコギの静かな曲。(多分みんな)耳がイカれているので、高音部は聴き取りにくくなっているに違いなくて、しかもPAなしなので全員耳を澄ませて聴いている。すばらしい。耳の中に残っているファーストセットの残響(というか軽い耳鳴り)と静かなアコギの、脳内での混じり合い。アコギだけを聴いているのではない。残響が嫌が応にも聴こえてしまうこの不思議な感覚。多分この残響のピッチ(?)なども個人差があるんだろうなと思う。最後はエレクトリックの「ロンリー・ウーマン」。そしてアンコールは再びアコギで。
いいコンサートでした。録音も無事終了。なかなか良い音で録れたのではないか。GROUND-ZEROの先行発売はヤマシンさんが全面的に仕切ってくれて本当に助かった。ありがとうございました。片付け後、打ち上げ。京都から石橋さんが来たり、宴会の最後の方でレディジェーンの大木さん(このコンサートの企画・いろいろとご面倒をおかけしました・ありがとうございました)が鬼怒無月を呼んで合流したりと、打ち上げも大変楽しかったッス。皆さんお疲れさまでしたー。
日曜日は大友、野田と一緒に広島駅へ。彼らは別の仕事で山口へ向かったが、私はすぐに東京へ。原爆ドームと平和記念資料館を見たかったのだが、次の機会に回そうと思う。資料館は全て見たら3時間くらいかかると聞いていたので、中途半端に見るくらいだったら見ない方がいいやと思ったのだった。到着後、すぐにGOKサウンドにマイクを返しに行く。これにて一段落。これから地味な梱包発送作業である。