ブロッツマン/鬼怒バンド。

28日(水)、ペーター・ブロッツマンのライブを六本木スーデラへ見に行く。中に入るとけっこうな混み具合でしかも知人多数。なんやかや行ってもやっぱりオレはブロッツマンのサックスの音が好きで、来日する度についつい出かけてしまう。今回はマーク・ラパポートの企画で、全てなかなか良いセッションになったのではないかと思う。願わくば、彼のソロも聴きたかった。十年くらい前、まだオレがディスクユニオンお茶の水一号店に勤めていた頃に、彼のインストア・ライブを2回もやってもらった。一度目は完全無伴奏ソロ。二度目はドラムの羽野さんとボントロのヨハネス・バウアーのトリオ。2回ともとてもよく覚えている。ああ、あの頃は良かったなー。本当はオレが本部に行った時もペーターさんにインストアをやってもらいたかったのだが、ディスクユニオン側が、インストアライブをやるんだったら、その費用対効果を算出して提出し、赤字だったらインストアライブはやらせない、みたいなわけのわからないことを言い出したので、やめた。インストアライブで費用対効果プラスになるわけねーじゃん、あほか。まあ数字を捏造して提出し、企画を通すことも出来たのだが、そういうのってオレは出来ない。普通のサラリーマンはそういうのは日常茶飯なのでしょうね。そしてそうあるべきだと思っている。そういったウソを塗り固めたプレゼンやらがまかり通って世の中は動いているわけだよ。まあそれはそれで上手く機能している部分もあるとは思うんだけどさ。
あ、話がすごく逸れた。ブロッツマンのライブです。
オレにとって、ブロッツマンの音は「悲しみ」だ。「演歌」と言っても良い。ブロッツマンを語る一般的な意見とは全く違う感想をオレは持っていて、それはインプロ中にブロッツマンが5音階を選んでいるとかそういったことではなくて、それはオレ個人の感情で、オレの中の「悲しみ」や「演歌」に触れる感情がブロッツマンの出す音に激しく共振するだけだ。なぜそんなことをここに書くかというと、ブロッツマン幻想みたいのがまかり通っていて、やれヘラクレスだのマシンガンだのそういったマッチョなイメージがブロッツマンにつきまとっている(それは確かに、分かる。とても分かるのだが)のにちょっとだけ異議を申し立てたいからだ。ブロッツマンの聴き所というのはたしかにそういったマッチョな部分かもしれない。でもそれとは別の部分にオレは激しく心を動かされる。スーデラでもそういう部分が見え隠れし、そこに図らずも涙ぐむオレがいるのであった。それは間違っている、と言われたら、ハイ、オレは間違っております、と認めます。でもその図らずも涙ぐむオレは否定しようがないわけで。まことに音楽評論というのは難しいわけであります。
29日(木)、横浜ストーミー・マンデイまで鬼怒くんのバンドを見に行く。ナスノミツル、中山努、外山明、という布陣の鬼怒無月のリーダー・バンド。鬼怒のオリジナルとC.ヘイデンや、K.ジャレットの曲を。とにかくリズムが抜群に面白い。外山明という存在のせいもあるだろうけど、かなり練られてるなという印象。来月またライブがあるので行こうと思うのだが、曲はライブを重ねるごとに変化して成熟してゆくことだろうと思う。機が熟したところで録音をとりたい。4人のテクは全く問題がないので(←なんかちょっとエラそうですね、オレ)曲自体がどのようになるのかが興味深い。しばらくこのバンドの追っかけをやることを宣言します(笑)。

※追記 ディスクユニオンのインストアライブは、現在はそれほど厳しくはなくなったみたいです。数値捏造のプレゼンに関しては、まさに私のような考え方は出世できないヤツの典型的な考え方ですので、サラリーマンの皆さんは上司のOKを取るために数値はジャンジャン捏造しましょう。