夜中に出かけるぞー。

晦日は大掃除。大掃除は、やり始めるとついつい真剣に取り組んでしまって、指を切ったり腰が痛くなったりするので、今年はセーブしておこうと思ったのだが、やはりやり始めると、楽しくてついつい真剣な眼差しになってしまうので不思議だ。窓ふき(特に外部)や鏡ふきは、なんというかこれ見よがしに雑巾が汚れてくれるし、ふいた部分は見事にきれいになってくれるので、やりがいがあるというか嬉しくなってしまうというか、大掃除のツボにはまる。大掃除を終えた後のコーヒーとタバコのうまいことよ。なんかこれだけでも幸せだ。
幸せといえば、今年一年も安泰だった。無事過ごすことが出来た。これも私を支えてくれた皆さんのおかげであります。今年一年私と何らかの形で関わっていただいた方(もめ事や些細なことも全て含む)に感謝します。ありがとうございました。
さてそんな幸せを享受していた中、フセインの死刑執行のニュースだ。何か、しこりの残るような、釈然としない気分だけが残る。たしかにフセインは反政府派の大勢の人間を殺害している。それは断じて許されないことだ。しかし一国の宗派・派閥に他国が介入(しかも巧妙な形で)してくる道理はどこにあるのか。国家を国家としてとして機能させるのは、その国家(国民)の決定であるはずだ。人道に対する罪の「人道」とはいったい何なのか。フセインが死刑になってブッシュが死刑にならないのは何故か。国際法に則っているから? ではその国際法自体は正しいのか。アメリカのいう「正義」とはいったい何なのか。アムネスティは裁判に対し「深刻な欠陥がある」と批判した。新聞で読む限りにおいて私もアムネスティの声明は的を得ているとは思うが、ではしかし公正な裁判はあり得るのか。ブッシュに殺されたいち市民。フセインに殺された反対派。命は等価であるはずなのに、そこに何らかの価値観が介入すると、命は等価ではなくなるというマジック。色々と考えさせられたが、やはり何かやるせない気分だ。
そんな気分をつかの間吹き飛ばすために、夜中に新宿ピットインのライブにでも出かけることにしよう。何時に行くか分からないけどオールナイトで電車も走っていることだしビールでも呑んで、ピットインの帰りには花園神社に初詣にでも行くか。