ディジパックから見えてくる世の中。

doubtmusicは今までほとんどディジパック仕様のジャケットでリリースしてきているが、実はディジパックというのは、プラケース、紙ジャケよりももっとコストがかかるのだ。でも私がディジパックが一番好きだ、という理由のみに依ってディジパックで作ってきた。(注:ディジパックとは紙で印刷されたジャケットにプラスチックのCDトレイを貼り付けたCDケースのこと) 何故ディジパックが高いかというとパテント料がかかっているらしいのだ。で、そのパテントが10月一杯で切れるという情報を以前からゲットしており、本日印刷仲介業者の方に問い合わせてみた。その問い合わせの内容はつまり、現在ディジパックで印刷できる印刷会社が二社独占なので、それが独占ではなくなり、他の印刷会社でもディジパックが作れることになり、大幅なコストダウン・価格競争が起こる可能性があるから、それは来月の発注から期待できるのか、と。
回答は厳しいものであった。つまりコストダウンはすぐには起こらないであろう、と。なぜならばディジパックそのものの需要の問題で、さほど需要がないものに印刷屋もそれほどコストはかけられない。もっとも何十万枚の受注が見込めるなら印刷屋も動くだろうけど、そもそもトレイ(CDをパチっとはめ込むプラスチックの板ね)を作っている業者が独占の二社以外にトレイを出荷するとは思えない、と。独占でやってきたからこそ大量受注が見込めたしそれなりの値引きをしてもある程度の売上は見込めたが、それが拡散することによる売上減を見込んで、最低受注ロット数を主張するであろうし、最低受注ロット数を確保したとしても単価アップが容易に予測される、と。そして最後に決定的な言葉「まぁ音楽業界がもうこういう状態だからねー。」
上記理由はあくまで印刷仲介業者の予測・回答なのでハッキリした結論はまだ出ていないのだが、まぁおおよそ当たっているだろうと思う。もちろんもっと事実関係の情報収集は今後も行うつもりでいる。
こういった資本主義の歯車の中のほんのちいさな一部分のネジのようなオレのレーベルにとってはとても耳の痛い話ではある。分かってはいるものの、そういう論理で動いているのなら文化も芸術もへったくれもないなと思う。もっともオレは文化にも芸術にも貢献しようと思わないし、そういったアカデミックなコトバで語られるものはちょっと胡散臭いと思っているのでどうでもいいのだが、まぁ「文化」とか「芸術」というと大袈裟なことになってしまうので「表現されたこと」とか言った方がいいのかもしれない。その「表現されたこと」は明らかに「モノ」ではない。CDはたしかに「モノ」として姿を現してはいるものの中身は「表現されたこと」だ。資本主義の中ではそういった曖昧なもの・金に換算され得ぬようなものは極力排除した方が明快に世の中上手く行くようだ。別にオレは資本主義が嫌いではないけれど、こういう場面に直面したときに心底資本主義的な発想を憎悪する。特にいわゆるここ10年の「情報資本主義」ですか。「IT」ですか。「株の売買」ですか。もううんざり。いつから効率主義がこれほどまでに幅を利かせるようになったのだろうか。
といってももう既に後戻りは出来ない状態になっていることも確か。皆で後戻りしましょう、なんて意見に賛成するヤツなんかいるはずない。自分もそういう世界に生きているからこそ印刷屋の論理も理解できるし、自分もそういう発想をしている場面などいくらでもある。どうすればいいのだろう。というか、自分の主張と世界の動向の妥協点を少し下げれば済むことなのだろうか。