猫目小僧。

猫目小僧』がいま映画化されて話題だが、その機を狙ってか、小学館から『猫目小僧』の復刻コミックが出版されたのを本屋で発見して思わず2巻まとめて購入した。私はガキの頃、少年キングやサンデーやらで最も真剣に読んでいたマンガだったのだ。真剣に。当時('68年頃。オレは小学2年)はなんとかというガムのオマケに「猫目小僧シール」みたいなのがついていて、4枚集めると猫目小僧が胡座をかいていてその周りに火の玉が飛んでいる図柄が完成し「猫目小僧立体シール」(注1)がもらえたので、オレは坂下薫くんと一緒に、必死で集めたのだ。特に2番(右上の部分だと記憶している。記憶違いかも知れない。)がとてもレアだった。
で、第一巻532p、第二巻487pを一気に読み通した。抜群に面白かった。特にガキの頃に真剣に読んでいた「妖怪千手観音」「妖怪水まねき」「大台の一本足」「妖怪肉玉」(今回の映画化は「肉玉」だったと思うが。)あたりはひとつひとつのコマが鮮明に記憶に焼き付けられていることにちょっとびっくりした。実は私はその頃、楳図先生にファンレターも書いていたのだった。いつまでたっても返事が来なかったので「楳図かずおって意外と冷たいんだなー」とか思ったのだった。ワハハ。ボンクラなガキだったんですねー。大笑いだ。
笑ったといえば、「妖怪百人会」で、妖怪百人会に襲われて醜い顔に変形したマンガ家の雨寺太郎を猫目小僧が発見したときの台詞「な、なんというサイケな顔!」
時代ですな。「サイケ(サイケデリック)」という発言はその後再度猫目小僧の口から発せられる。猫目小僧は当時のサイケデリック文化に多少なりとも興味を示していたと思うとけっこう楽しい。
オレがガキの頃猫目小僧に憧れたのは、彼のクールでニヒリスティックな部分だ。不死身の肉体と精神力にも憧れた(もちろん当時はそんなことコトバにはできないのだが)。改めて読んでも、彼は妖怪界からも人間界からも邪険にされる孤独な存在であったことが分かる。セクショナリズム全盛の時代にあって、猫目小僧とか明日のジョーとか、セクトに属さない、むしろそれらから疎まれさえしながらも生活する強靱な精神力。なんて、今の時代だからこそそんなことが言えるが、当時のオトナたちはこれをどのように読んだのだろうか。
いまのオレのライフスタイルというか、そういった部分に明らかに影を落としているのだろうなと思う猫目小僧は、オトナになってもオレのあこがれであり続けているし、アンチヒーローでもあるのだ。

(注1)立体シールとは普通のシールとは違ってビニール製で絵柄の部分に空気が入っているいわゆるレリーフみたいなシール。今考えるとめちゃショボいのだが、ガキの頃は2次元から3次元へのコペルニクス的転回と認識し、革命的ですらあったシールだった。もちろん図柄は妖怪もの。