大友ギター・ソロ他。

ここんところ、ユニオンのバイトであったA部ちゃんの送別会で久しぶりにK林とかW栗とかT子とかO滝とかと会ったり、夜、配偶者と一緒に椿山荘に蛍を見に行ったら、スーツのお偉方らしき軍団(議員か?どっかの企業の役員か?)が横に来てその会話の下品さに蛍の美しさがかき消され腹立たしい思いを馳せたり、あまりにもヒマなのでごっそり本を読んだり、村井康司氏の北海道みやげで秋葉の田中さんちで編集・鈴木さんと4人で手巻き寿司呑み会をやったり、おなかの具合がちょっと悪かったのでヨーグルトを喰いまくったりしていたたのだった。
で、今日は大友良英ギター・ソロ@新宿ピットイン。津上研太も来ていたので一緒に鑑賞することに。ファーストセットはギター二台とアンプ二台のフィードバック。これが凄く面白かった。二台のギター/アンプから出てくるフィードバック音が互いに干渉し合ってうねったりビートを刻んだり一本の線になったりする。首をちょっと曲げると今まで聞こえていなかった音が突然耳に飛び込んでくる。ふと思ったのだが、これはピットインの中の位置によって聞こえ方が全然違う音楽なのではないか、とすら思った。もしくは聴き方によってインタラクティブになる音楽ではないかと。大友が偶然性をコントロールしている、もしくはリスナーが偶然性にコントロールされているような、しかも更にリスナーが意図的に偶然性をコントロールできるような音。聴取と耳の構造の関係性ってホントに興味深い。セカンドセットはアコギとエレクトリック。特にエレクトリックの本日の断続的な音の連なりのカッコよいことよ。そして音が途切れたときの世間の音の下世話さよ。大友ソロはターンテーブルにせよギターにせよ、オレは昔からホントに好きだ。オレは大友ソロを誰よりも先に評価していたぞと自慢したいくらいなのだ。いまでこそピットインをほぼ埋める動員であるのだが昔なんか客2人とか3人とかだったんだぞ、と世間に知らしめたいくらいだ(知らしめてもしょーがないが)。ホント、皆さん、大友ソロは足を運ぶべきですよ。もし「つまんない」と思ったらオレが謝ってもいいくらいだ。
さてそのライブ会場に牧野琢磨が来ていた。牧野くんは湯浅湾やアメリコでギターを弾いているが、彼がG-モダーンのために書いてくれたダウトミュージックの紹介記事がG-モダーンに掲載されていないという事件が起こった。さっそく生悦住さんに連絡したところ、不可解な事実が発覚。牧野くんはオレのところに原稿を送ってきて、オレも原稿を書いたのでふたつ分のファイルを添付してメールしたのだが、生悦住さんのところにはひとつ分のファイル(つまりオレの分の原稿のみ)しか添付されていないというのだ。こんなことは初めてで、牧野くんに非常に悪いことをした。オレがちゃんとメールの本文に添付ファイルはふたつ分です、とか書くべきであったのだ。牧野くん、申し訳なかったです。なお、牧野くんの幻の原稿は数日中にダウトミュージックのサイトに掲載予定。牧野くんの文章、オレとしてもとても嬉しかったので。これをきっかけに新たに「Critique」とか適当につくって、ダウトミュージックの作品を批評してくれた文章を掲載しようかな、とも思っております。オレが書いてもいいんだけどさ、オレが書くとなんかちょっとイヤラシイじゃないですか、なんとなく。Improvised Music from Japanにはいけしゃあしゃあとダウトミュージックの文章をテメーで書いたけどさ。あれは鈴木美幸の意図で、鈴木さんの面白い視点を感じたから喜んで書いたのであって、自ら進んでテメーのレーベルの批評なんかしないよね。宣伝だけです、宣伝はします。批評は本来は外部からということで。厳しい評も甘んじて受け入れます。