パソコンに乗っ取られた一日。

パソコンが壊れるということは、何も出来なるということだ、というほど私はパソコンに依存していたのか。そこまでヤワになってしまったか。いかがなものか。ま、バックアップを取っていなかった私が悪いのだが。
配偶者にも協力してもらって、彼女の会社で別のモニタに接続してもらったのだが別のモニタでも同じ症状が出るとの報告を受けたので、よくわからないがロジックボードとか、なんかそういった部署の人たちの調子が悪いのだろう。いずれにせよ、壊れていないハードディスクの中身をなんとかしてバックアップ取ってから修理に出したいところだ。再度マックのサポートセンターに連絡し、モニタがぶっ壊れた場合の起動の仕方とかを教えてもらって、やってみた。すると立ち上げの数分間だけちゃんとファインダの画面が出て、ある時画面がぐしゃぐしゃになり始める。したがってその数分間を利用してなんとかファイルをコピー出来るということだ。
さっそく秋葉にいってFirewireのケーブルとコンパクトHDを購入してきて、更に最悪のケースを想定して昨日一緒に呑みに行った田中さんからウィンドウズのパソコンを譲ってもらい、万全の体制を敷いた。
配偶者のパソコンとオレのパソコンをFirewireのケーブルで繋ぎ、重要なファイルとかメールを配偶者のパソコンのHDに落とす、そしてさらにそれらをコンパクトHDにバックアップという作戦で臨んだ。オレのパソコンの寿命は立ち上げの数分間だけ。この間、急ぎでファイルを選択し落としていかねばならない。夜配偶者とともにこの作業を何度も何度も繰り返した。2台とも強制終了の嵐。もうしまいには霊力の世界みたいになってしまって、パソコンに向かって大声でしゃべったり周りを歩いたりすると立ち上がってる時間が短い、とか、「T」のキーを優しく押してやると立ち上がってる時間が長いとか。とにかくオレのパソコンの機嫌を損ねないように、だましだまし、という感じで、最終的には重要なファイルは全てコピー出来た。良かった。配偶者の協力なしには出来なかったことだ(配偶者は割とパソコンに詳しいのだ)。ほぼ完璧。
教訓その一:バックアップをまめに取るべし。教訓その二:パソコンに人格を付与すべし。
ま、その間にも細々と仕事をしてたわけで、アンドリューのジャケの色校が出たので、それを受け取ったりデザイナーの佐々木暁さんにそれを渡しに行ったり打ち合わせの連絡を取り合ったりちょこっと原稿書いたりと、まあまあの仕事量であった。こうして考えると割とオレってワーカホリックなのかもしれない(笑)。
パソコンを修理に出すので、しばらくはちょっとだけ不自由な動きになるが、しょうがない。でもまあほぼ同じ環境で仕事が出来るようになったのはとても嬉しい。