阿修羅。

ジョージ秋山の『アシュラ』が幻冬社から文庫で出たんですね。知らなかった。今日本屋で見つけて購入した。オレが小学5年のころから少年マガジンで連載されてて、そのあまりの壮絶な状況を描写したシーンの数々に子供ながらにとても引き込まれたし、妙に性的なものも感じた。そういうのってけっこうオトナになるまで引きずるものである。古本屋で日本文芸社版の(上)だけを見つけて買ったが、その続きが読みたくて古本屋を探すも見つからず、結局「円盤」田口くんに借りて読んだのはつい最近のことだ。
愛だの平和だのと言いつつ、極限状況になった時ののっぴきならない人間の姿はいかに醜いか。そして醜くも生き延びねばならない生への執着は、人間も単なるひとつの「生物」として開示される。ニヒリズムの極北。主人公のアシュラとアシュラを救う流浪法師。二人の生に対する価値観は正反対であり、平和な生活、つまり我々のような生活をしているものにとって流浪法師の「南無阿弥陀仏」は正論だ。しかし生きるために人肉を喰らい、自分を殺そうとした発狂した母親とその母親を捨てた父親に再会するアシュラの価値観を我々は完全否定できるのであろうか。島田雅彦は解説で、その価値観は「革命」と読める、と書いているが、その「革命」の意味はあまり私には分からない。時代は'70年〜'71年。革命幻想が少しずつ崩壊してゆく時代である。それにしても当時の少年誌にこれほどまでの激烈なマンガが掲載されていたとは、ちょっと驚きである。テーマがシンプルであるだけに、深遠でとても考えさせられる。